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52樽見駅前〜トッサス(本巣市根尾地域バス)
終点のその先 トッサスの秘密


樽見鉄道の終点樽見駅 根尾のバス旅はここから始まる
快晴の大垣から単線非電化の樽見鉄道に揺られること1時間あまり、終点樽見駅は冷たい雨でした。旧根尾村の中心部にあるこの駅から さらに山深い集落へ向かう本巣市根尾地域バスがあります。 伝統の能が残る能郷線、鉄道に沿って根尾谷断層を通過する宇津志線、そして今回乗車する松田・奥谷線の全3路線。 昼の便は3路線が樽見駅前を同時刻に発車するため、行き先表示をよく確認しなくてはいけません。3台のうち最後に来た 他より小さめのバスが松田・奥谷線、おそらく最も乗降客が少ない路線なのでしょう。この日は学校が冬休み期間中の土曜日とあって 他に客はなし、最後まで貸切状態でした。

樽見駅前に到着した松田・奥谷線の小型バス

樽見の小さな中心街を通過

根尾東谷川の清流

国道418号線 口谷付近の車窓

「トッサス」という謎めいたバス停で折り返し
樽見の小さな中心街を通過すると、わずか数分で根尾東谷川の清流と苔むした土留が車窓に広がります。いったん国道をそれ板屋地区に入りますが 乗降客はおろか人の姿すら見えません。逆にこの付近では猿や猪がよく出没するようになって畑を荒らすそうです。 再び国道を走り始めたバスは口谷や奥谷を通過します。根尾出身の運転手は沿道の家の人々のほぼすべてと知り合いのようで、 地元客にとっては頼もしく観光客にとっても貴重な存在です。 かつて林業で栄えた地域ですが前年の台風で多くの杉が倒れた状態、遠地の居住や高齢のため各所有者に片付ける余裕がなく 惨状はしばらく続きそうとのこと。 国道418号線は狭隘区間も多い「酷道」として知られ、中元バス停付近ではすれ違いのできないような細い道を 通過します。しかしこの日は対向車は一台もありませんでした。 やがて「トッサス」という変わった名前のバス停で国道を折り返します。 ここトッサスから数百メートルで山県市との境、尾並坂峠を越えてさらに2kmほど歩けば岐阜バスの塩後(しょうご)バス停への 乗り継ぎも可能です。ただ周辺は人家すらない寂しい場所。平年の冬ならかなりの積雪がある地域なのでご注意を。
バスを回転させながら運転手がこう続けました。「トッサスというのは・・・昔ここに屠殺(とさつ)場があったからです。」 これはあまりにも予想外で衝撃的でした。 トサツがトッサス?まさか本当は突っ刺す(ツッサス)?などと脳内はさらに悪い方向に回転しはじめます。あえて詳細は確認 しませんでした。 以前高知県のマホーランカーブというバス停の由来が魔法蘭の花が多くあったカーブだと聞いたときは 実にさわやかな気分になったものでしたが。

バスはさきほどの板屋付近まで引き返し今度は右折して県道255号線に入ります。この道路は根尾東谷川の上流に上大須ダムが作られたときに 電力会社の補助金で整備されたもので、板屋トンネルなどの完成でこの先の小鹿、松田、大須地区への交通は大幅に改善されました。 ダム建設のときには工事関係者で大変にぎわったそうですが完成後は人口が流出し、このバスも大須へは行かず途中の上松田で 引き返すことになっています。小鹿や松田の集落では細い旧道に入ります。東小鹿バス停付近の風景がなんとなく魅力的だったので 運転手にお願いして途中下車してみました。

東小鹿バス停に到着する地域バス

東小鹿バス停付近の悪路

東小鹿バス停前 独特な作りの家とたくさんの薪
雪下ろしのためか家々には2階まで届く長い梯子がかけられています。屋外には大量の薪が積まれています。橋の欄干が苔で覆われています。人の気配はなく自然の音しか聞こえません。雨が強くなってきたので軒先を借りて雨宿りします。寒く寂しく少し不安になりましたが、10分あまりで上松田からの折返しバスがやってきました。 こういう山奥の集落にも路線バスが運行されていることはやはり安心感があります。この日は他に客がいませんでしたが、 実際に高齢の方々は買い物や通院で、数少なくなった子どもたちも通学で毎日のように利用しているとのことです。
バスはもう一度ていねいに板屋地区を巡回し樽見駅に戻りました。1時間近く充実した観光案内をしてもらいましたが 申し訳ないことに運賃は無料。せめてものお礼にここで根尾の様子を紹介させてもらいました。
鉄道の終点で旅を終わらせるのはもったいない。その奥の秘密をバスでさぐってみませんか。

樽見バス停

宇津志線はこの根尾谷断層を通過する

根尾の最大の名所の薄墨桜 春にぜひ

樽見駅前11:51−【本巣市根尾地域バス松田・奥谷線 無料】→12:48樽見駅前
2019年1月の情報


51廿日市市役所前駅〜川末(広電バス)
薄れゆく道から望む瀬戸


始発となる広電の廿日市市役所前駅

左の車窓に宮島の山々

1700年の歴史を持つという速谷神社の鳥居
広島電鉄の廿日市市役所前駅、ここから高台にある原、川末方面のバスが発車します。土曜の昼の便とあって子供からお年寄りまで客層も広く車内はにぎやか。 しばらくはまっすぐな幹線道路を快走、左の車窓からは弥山(みせん)をはじめ宮島の独特な形の山々が手に取るように見えます。途中の中平良(なかへら)で多くの客が下車しました。 やがて速谷神社の大きな鳥居があらわれます。神社は1700年以上の歴史があると言われ、広電バスもここでお祓いを受けるという交通安全の神様です。 山陽道の高架をくぐると、今度は一転して集落の中の細い急坂を登り始めます。この変化がこの路線の醍醐味です。

下大島バス停 ここから道は狭くなる

原小学校付近 さらに高い場所に

石垣の棚田と段畑が並ぶ原車庫バス停前
バイパスができたとはいえこちらも国道433号線、やや傾斜のきつい集落で、しっかりした石垣による棚田と段畑が広がります。沿道の立派な家々や蔵は、この道が 古くから栄えてきたことを物語っています。国道は広島の山中を貫き、はるか三次市まで伸びているのです。原小学校前バス停で国道に別れを告げ、続いて県道294号線に突入します。 この路線では客は降車するだけで、新たに乗車する客はみかけません。沿道の人家が少なくなるにつれ車内の客も少なくなり、 原地区で最後の客が下車しました。原車庫バス停の前には数台分の駐車場と電話ボックスがあるだけで、期待していた屋根のついた車庫の姿はありませんでした。 原車庫を起終点とする便は現在ないようですが果たして使われているのでしょうか。

ここから終点の川末までは1kmあまり、さらに過酷な急坂の連続ですがこの区間が圧巻。 大型バスはエンジン音を車内に響かせて最後の力をふりしぼります。 「次は川末」という車内放送を聞いて降車準備をし最前席に移動しました。「ここが川末ですが、バスはこの先の回転場で折り返します」と言う運転手さんに、 「見晴らしの良い方で降ろしてください」とお願いします。「では先まで」と迷わず返答した運転手さん、50mほど先の回転場にバスを停車させました。 標高約300mの自称「川末展望台」からの眺めは期待以上でした。 南に開けた斜面は日当たりもよく、宮島など瀬戸の島々が一望できます。急坂を登り続け美しい景色を見下ろしながら短い休憩をとる緑のバスの姿が とても頼もしく見えました。

川末付近 大型バスには酷な細い急坂


川末回転場に到着

川末回転場から見おろす瀬戸の島々
この川末より先は泉水峠を抜け玖島へと抜ける古い道があるようですが、南側の県道30号線による経路が整備された現在では 行き交う人はほとんどなく薄れる一方、地図にも明確な表記はありません。

さて、廿日市市の山間部では広電バスの撤退が相次いでいます。 2019年1月27日の最終運行をもって吉和線や玖島線から広電バスが消えます。実は今回ご紹介した原・川末線も近いうちの廃止が検討されています。 この見晴らしの良い川末地区の急坂を緑色の大型バスが登ってくる姿もまもなく見納めかもしれません。
廿日市市役所前駅11:06−【広電バス310円】→11:29川末
2018年12月の情報


50村役場前〜小港海岸(小笠原村営バス)
亜熱帯の東京を走る

今回は節目の50回目(特別編を除く)ということで、2018年6月で本土復帰50周年を迎えた小笠原のバスをご紹介します。
小笠原諸島でバスが走るのは小笠原村役場のある父島だけです。 小さな父島では二見港付近に集落が形成されていましたが、やがて南部の扇浦地区にもペンションなどの観光施設が多く 建設されたため、この扇浦とを結ぶバス路線が2000年になって初めて登場しました。 バスの歴史は浅く驚くほどの秘境感はありませんが、他では味わえない小笠原ならではの魅力も。
1日乗車券 始発となる役場前バス停
繁華街を抜けるバスの車内 車窓から見えるおがさわら丸 坂を登るバス
運転手の服装は車体と同じ水色の半袖アロハシャツ、車内はほぼ年間を通して冷房設定なのでしょう。 始発の村役場前を出発したバスはまず土産物屋や商店が数軒並ぶ小さく垢抜けた島唯一の繁華街を通り、観光客と 地元の買い物客で座席は適度に埋まります。 港に停泊中のおがさわら丸を右手に見て奥村地区を抜けると、バスは亜熱帯の街路樹に囲まれた海岸沿いの坂を登ります。 沿道に人家はまったくありませんが、二見港を囲うように路線が設定されているため右側の車窓には青い海が輝きます。 高所にある境浦海岸バス停の近くからは、下の写真のように戦時中に座礁したという船の残骸が見えます。 波により錆びて朽ち果てているため、この姿が拝めるのもそう長くないかもしれません。やがてバスは徐々に高度を下げ 目の前に海が広がる扇浦海岸バス停に停車、数人の客が下車しました。ここ扇浦で前半の海編に幕を閉じます。
境浦海岸バス停 座礁船の残骸 扇浦海岸バス停
扇浦の交差点を左折したバスの車窓は一変、後半の陸編の幕が開きます。
訪問した6月は梅雨明け直前で、日が暮れると羽化したシロアリが乱舞します。夜明けまでにそれらが 地上に落下し大量のヒキガエルの餌となりますが、そのカエルも車道で轢かれている姿が散見されます。 カエルを餌とするヘビがいない小笠原ならではの光景です。
亜熱帯の植生は実に見応えがあります。 マングローブのない小笠原ですが、それによく似たオオハマボウが川沿いに生えています。 亜熱帯の密林地帯を通り抜けると、ベンガルボダイジュの大木の下にある小港海岸バス停に到着しました。 思わずシャッターを切りたくなる終点です。
小港海岸バス停とオオハマボウ1 小港海岸バス停とオオハマボウ12
中山峠から見る小港海岸 すぐ小港海岸で泳ぎたくなるところですが、小笠原特有の動植物を見ながら少し丘を登れば 標高110mの中山峠から美しい海を一望できます。

小港海岸バス停には「東京都最南端のバス停」とあります。後に小笠原村役場に直接赴いて取材したところ、 観光客に村営バスを利用してもらうために様々な工夫をしているようです。 今後境浦海岸バス停にも同様に「東京都最東端のバス停」との表記をつける予定であり (最新の情報ではすでに実施)、外国人向けに英語表記も添えるとのこと。 バス停の動植物のデザインもさまざまで、村では車窓から眺める夕日も魅力的だと紹介しています。

父島内の交通は便利ですが、小笠原への交通は非常に不便で、かなりの時間と金を費やしました。 おそらくもう二度と訪問できません。 本土復帰100周年においてもこの豊かで独特な自然環境とバス路線が残っていてほしい、そう願って島をあとにしました。
村役場前13:40−【小笠原村営バス200円※】→14:00小港海岸
※実際は1日自由乗車券500円を使用
2017年6月の情報


49宇和島〜蒋渕(宇和島自動車)
半島の彫刻

南予地方のリアス式海岸、宇和島自動車の大型バスがその岬を走る姿が多くありました。 しかし2017年11月末に武者泊線、2018年5月末に本網代線とそういった路線は次々に廃止され、残りはこの蒋渕(こもぶち)線など ごくわずか。 今回は言葉を少なめに写真を多めにご紹介、なお行きは雨降りでしたが帰りで晴天に恵まれたので、 ここでの写真は帰路のものを多く掲載します。
番城小学校前バス停 バスが到着 車窓からは海が見える
国道56号線との分岐にあたる番城小学校前から乗車しました。宇和島市街地からの買い物帰りなのか、意外なことに 大型バスの車内は満席に近い状態でした。無月トンネルを抜けるとやがて車窓に宇和海が広がります。 ここからはほぼすべての区間で海が楽しめます。 半島に点在した集落に立ち寄るため、神崎、水ヶ浦、津の浦の3地区へは県道を外れ往復する形になります。 こういった地方路線の枝線区間ではたいてい乗降客もなく虚しさを感じるものですが、この路線では下車する客が散見され一安心。 不便で小さな集落にも生活のにおいがします。中でも水ヶ浦バス停付近の急斜面に作られた畑は一見の価値あり。 頂上部まで積み上げられた幅も高さも1mほどの石垣の各段でジャガイモなどが栽培されていて、 「遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑」と呼ばれています。この沿線は急な傾斜地が多く、宇和島の象徴であるみかん畑は ほとんど見られません。
水ヶ浦バス停 水荷浦の段畑とバス 水荷浦段畑遠景
津ノ浦に寄り道した後は蒋淵半島の尾根を通り抜けます。高い位置から見下ろす海も壮観です。 海には養殖いかだが浮いていて、てっきり宇和島名産の真珠だと思っていましたが、すでに蒋淵半島の真珠は衰退して 代わりに牡蠣を養殖しているのではないかとのこと。 津々浦々で一人ずつ客をおろしたバスの車内に他の客は一人だけとなりました。 天気も回復し車内は暖かくなり、重ね着していた服を次々に脱ぎ隣の座席に置きます。 しかし汗をぬぐう間もほとんどなく、今度はその服を次々に着ます。目的の細木運河に到着です。
細木運河バス停
高助バス停
細木運河上のバス
運河はその高さに比べ幅は20mとかなり狭く風の通り道になっているようです。バス停も展望の良い橋詰にあるのですが、 足もすくむような強風に撮影もそこそこに退散しました。 もともと地続きだったこの場所に5年の歳月を費やし1961年に竣工した細木運河によって、半島南部と宇和島を結ぶ海路は便利になりました。 実はこの地域にしっかりした陸路が通じたのも運河が完成した頃らしく、長らく陸の孤島だったとのこと。代わりに海路が発達していて、 今でも宇和島と日振島や戸島との間を結ぶ盛運汽船が水ヶ浦、高助、蒋渕などに1日に数便寄航します。 運賃も高めですが、船とバスを組み合わせた旅も面白そうです。
細木運河 細木運河遠景 中小浦バス停付近
細木運河とバス
細木運河から終点の蒋渕までは2q弱、折り返し発車時刻まで20分あり、急げば終点の蒋渕までたどりつけそうです。 半島に囲まれた蒋渕周辺は風も遮られ海も穏やかで天然の良港です。漁船が並ぶ高木や高助のバス停には軒先や小屋に古いビニールソファーが置いてあり、 これが待合場所となっているようです。 景色もよかったのでゆっくり散策した結果、中小浦と蒋渕の間で折り返しバスに乗車、その際に細木運河を背景にバスを 撮影してみました。
往路と異なり復路はガラガラ。親切な運転手さんには沿線や宇和島の観光案内だけでなく、ここには書けないような数々の貴重な 体験談をたっぷりお聞きしました。
番城小学校前12:41−【宇和島自動車930円※】→13:42細木運河…(徒歩約2q弱)… 中小浦・蒋渕間14:03−【宇和島自動車1050円※】→15:07寄松
※実際は特典きっぷ使用
2018年1月の情報


48蓬莱ショッピングセンター〜蓬莱団地(ぜぇね)
手作り団地バス

自治体からの補助金を受けないのに運賃無料 運行団体は「ぜぇね」…

福島市郊外の蓬莱(ほうらい)団地にちょっと気になるバスがあります。 一般人も利用可能とのことで試乗してみます。 蓬莱団地を循環する3つのコースがあるようですが、中でも迷路のように複雑なCコース (下の地図の赤いコース)に今回乗車、 時刻表のバス停はほとんどが「○○さん家」といった個人宅。
くるくるバス時刻表 くるくるバス路線図
蓬莱ショッピングセンターの一角に「コミュニティバスくるくる」と書かれた広告だらけの車体を見つけます。 11:05発の便は予想通り買い物袋を持った高齢のご婦人たち、23人乗りの小型バスはほぼ満席、みなさん ほとんど顔なじみのようで買い物袋を持たない部外者は少し浮いた感じもします。
くるくるバス くるくるバスの広告 車内から
坂の多い団地の細い路地を上がって下がって右折して左折して、客を一人ずつおろしていきます。 足腰の不自由な客も多く、乗降にはかなりの時間を要することも。 地元の大手タクシー会社から事実上引き抜かれるような形で専属担当となった運転手は、 それぞれの客が下車するバス停をほぼすべて把握しているようで、後者ボタンもないのに自然に 目的地で停車します。高齢の乗客への対応も丁寧です。

バス停の配置にも驚きます。バス停の看板が個人宅のフェンスにかけられていたり、バス停の間隔がわずか数軒分だったり、 何しろ自由なのです。一般の路線バスでは考えられないことです。 バスが門の前で停まると家の方が買い物帰りの奥様を出迎えて発車するバスの運転手に深々と頭を下げて見送る光景が 印象的です。 市町村の補助を受けないのは、団地内の細やかな経路設定やバス停の自由な設置ができなくなることが理由であり、 利用者の声に極限まで応じた結果だったのです。 他の乗客を全員おろして、最後は緑に囲まれた道を快走、25分ほどで元のショッピングセンターに戻ってきました。 くるくるバスの発着所の前のショッピングセンターの一室がバスの待合所です。ここは団地住民の語らいの場でもあり、 このバスを運行しているNPO法人「ぜぇね」の事務所でもあるのです。
くるくるバスのバス停 自然豊かな車窓も くるくるバス走行風景

全国にはバス運営に関わっているNPO法人がいくつかあります。 NPO法人中越防災フロンティアが地震で壊滅的な被害を受けた旧山古志村で運行するクローバーバスは 部外者の一時利用でも最低年間3000円の会費が必要。 富山県氷見市で廃止路線を代替運行する各NPOバスは住民以外の利用不可。 兵庫県加西市でNPO法人原始人会が運行するはっぴーバスは250円で誰でも乗れるが市からの補助金が出ている模様。
このぜぇねのように市町村からの補助をまったく受けずにバスを運行しているNPO法人は思いつきません。 事務所にいらっしゃった理事長に疑問にお答えいただきました。
「(採算について)収益源はバス広告が約半分、残りは太陽光発電事業や寄付金など 今後も十分にやっていける」
「(全国の買い物難民に関連して)各地でも同様に運営できると思う」
そのほか制度変更への対応や運転手の待遇などのお話も…
今年で運行開始からちょうど10年経過し、安定した運行に手ごたえを感じられているようです。 何より利用者にとって欠くことのできない移動手段であることが乗車して実感できました。 このようなバスを運行させたのがショッピングセンターでなく、一般の市民であった理事長個人だというから驚きです。 資金集めや震災などの苦労は大変なものだったはずですが、それを感じさせない笑顔にただただ頭が下がるばかりです。 無料運行ですが一乗車分のお礼としてほんのわずかの寄付をしました。

最後になりましたが、「ぜぇね」とは福島の方言で「いいね」という意味だそうです。 ぜぇね、手作り団地バス。
蓬莱ショッピングセンター11:05−【くるくるバスCコース(循環)無料】→11:30蓬莱ショッピングセンター
2018年9月の情報


47取手駅〜土浦駅〜茨城空港〜水戸駅(関鉄バスなど)
黄門印籠旅

東京圏では広域なバス乗り放題切符が少ないのですが、 茨城県南部を中心にバスを運行する関鉄バスグループが土日祝日に700円で一般路線バス乗り放題になるとの情報を得て、 ある猛暑の日曜に、同社の南端の取手から北端の水戸までバスを乗り継ぐ計画を実行してみました。
最初は取手駅発谷田部車庫行 広がる田園 谷田部車庫バス停
最初に乗る便は取手駅発谷田部車庫行、この9:00の便が今日の始発です。他に2人の客がいましたが、1人は次のバス停で下車、 もう一人もほどなく下車し、ほとんどの区間が貸し切り状態でした。周囲は一面の田んぼで夏の日差しを受けた緑が 鮮やかです。それでも東京の通勤圏のため突如近代的な街並みが出現するのもこの地域の特徴です。つくばエクスプレスの みらい平駅を経由して取手から1時間で終点の谷田部車庫に到着しました。
平日ならここから土浦行きの便も多くあるのですが休日は少ないため、次の区間だけ200円加算して つくば市が運行する「つくバス」に乗りついでつくばセンターに向かいます。車内は先ほどの便と違い立ち客も多く かなりの乗車率、さすが大都会の学園都市つくばです。駅周辺には飲食店も多くあるので昼食休憩としました。 なお真夏にもかかわらず食欲に負けて熱い麺料理を堪能したため汗だくになってしまったことは大いなる反省点です。

続いて利用する土浦行きは10分近く遅れてやってきました。大勢の客をここつくばセンターで降ろして、わずか数名の客を 土浦まで運びます。バスが土浦市に入り桜川にかかる学園大橋を渡ると、左手の緑地に突如驚くほどの数の白い点々が視界に入り 一瞬息をのみました。鳥のようです。調べてみるとサギの繁殖地とのこと。これを目当てに多くの人が三脚を並べている姿も また異様に目に映りました。田中町からは土浦名物の高架の自動車専用道を頭上に見ながらバスは土浦の中心部に入り やがて駅西口に到着です。
つくバスでつくばセンターに到着 左手には筑波山も 廃線後を利用した石岡駅バスターミナル
続く土浦と石岡の間はこの乗り継ぎの旅では代替経路のない主要区間であるのに、休日の日中の便数が少なく 結構な難所です。実際客は始発から終点まで自分だけだったので、これ以上の増便を望むのも酷なことでしょう。 途中かすみがうら市役所まで迂回経由する努力と、区間によっては左手車窓に筑波山を一望できるという魅力は、 たった一人の物好きな乗客を喜ばすこと以外はすべて無駄に終わっていることが残念でなりません。時刻表上は 石岡駅で5分しか乗り継ぎ時間がなかったのですが、途中客扱いもなくかなり早く到着しました。
鹿島鉄道跡のバス専用道 茨城空港 千波湖が見えれば間もなく水戸駅に
石岡から水戸へ抜ける経路は複数ありますが、茨城空港開業後は空港で乗り継ぐという選択肢が増え便利になりました。 石岡からは鹿島鉄道廃線跡をバス専用道(BRT)として走行する区間があります。「かしてつバス」です。 当時の鉄道の面影も残っていますが、かつての主要駅だった小川駅周辺の衰退ぶりには心が痛みます。 鹿島鉄道廃線が2007年、茨城空港開業が2010年ですからこの地域の主役が交代したということなのでしょう。 バスは近代的な茨城空港に滑り込みました。不便で発着路線が少ないと悪評もある同空港ですが、この日は上海とを結ぶ国際線が 一機待機していました。空港発着のバスは飛行機よりもかなり多く安心です。 水戸行きのバスは一般道経由と高速道経由の便がありますが、この1日乗車券が有効なのは前者のみなのでご注意を。 このバスも乗客は自分ひとりと覚悟していましたが、水戸市内に入ると他に二人の利用があり安堵しました。 車窓に水戸を代表する偕楽園の千波湖を望み、大工町の交差点を右折し銀杏坂を下れば水戸駅に到着です。 水戸黄門が二人のお供を従えて出迎えてくれました。

(参考情報)
○2018年現在、水戸から取手へ向かうほうが乗り継ぎの面で便利です。
○乗り継ぎ場所は駅や空港などが多く、暑さや寒さ、悪天候をしのぐことができます。
○ICカードが必要です。普段使用しない方は無記名式カードの一時的な利用が適しています。
○最初の便の下車時に購入の手続きします。第二便以降、乗車と降車の時に機械での読み取りが必要です。
○鉄道の場合は取手駅から水戸駅までは運賃1320円、距離77.9qです。

取手駅西口9:00−【関鉄バス※1】→10:00谷田部車庫10:23−【つくば市バス200円】→10:40つくばセンター11:22 −【関鉄バス※1】→11:52土浦駅西口12:40−【関鉄バス※1】→13:30石岡駅13:35−【関鉄グリーンバス※1】→14:10 茨城空港14:55−【関鉄グリーンバス※1】→16:05水戸駅北口
※1 1日IC乗車券700円利用  2018年7月の情報


46土佐久礼駅〜大野見〜窪川駅(四万十交通など)
冬の沈下橋

前号に引き続き沈下橋関連の路線を。沈下橋といえばまず思い当たるのが高知県の四万十川、四万十交通のホームページにあった 「路線バスが沈下橋(久万秋・長野)を渡るのは、四万十川流域では当社唯一のものです」の一文に誘われて2つの沈下橋を渡るバスの姿を見たくなりました。
十佐久礼駅から大野見行きの小型バスは客一人だけを乗せて定刻に発車、まもなく眼下には高知道と山並みを見下ろす雄大な車窓が広がります。 久礼と大野見は標高差250mほどあるそうで、 快晴だった久礼からは一転、峠を越えると大野見では雪が舞っていました。大野見の役場を少し過ぎ、終点の大野見診療所で中土佐町のコミュニティバスに乗り換えます。 このバスは曜日別に行き先が異なり、今日は中土佐町最北の程落(ほどおち)との間を往復します。片道30分でわずか100円、往復でも合計200円、町民にとってもありがたい運賃設定です。
土佐久礼駅のバス 高知道と山並みを見下ろす 大野見の役場
車内には先客のご婦人が一人、「九州の学校から風で運ばれたヒマワリの種の入った手紙が枝にひっかかっていて、その後交流が始まったがみんなで共有したい」ということで 大野見まで来られたようです。心あたたまる話をうかがっているとバスは第一目的地の久万秋沈下橋に到着、ごく短時間途中下車させてもらいます。 枯れすすきの向こうに沈下橋を渡るコミュニティバスが撮れました。曜日と時間によっては、同じ場所で四万十交通の大型バスが渡る姿が見られるはずです。
久万秋沈下橋を渡る 車内から見る沈下橋
四万十川に沿って
バスはしばらく四万十川本流に沿って上流を目指します。途中で手ぶらで軽装のご婦人が2人乗車され、小型の車内には4人の客。過疎地の路線にしては上出来です。 萩中付近で先客が下車、ここからは本流をそれて寂しい道を進みます。沿道には崩れかかっている廃屋も多く「限界集落」の4字が頭をよぎります。 後で乗車されたお二人は終点近くの家の前で下車しました。終点程落では20分の折り返し時間、どうもこの時間を利用して高齢のお知り合いの様子をうかがいに来たようです。 私もこの時間を利用して少し足を延ばし峠を越えました。木々の間からはるか下方に津野町の集落が見下ろせます。 程落の小さなバス停はまさに町境の看板の脇にあり、週2日とはいえ路線網が町の末端の集落まで行き届いていていることに安心感を覚えます。

折り返し大野見行きには途中からさきほどのご婦人二人も乗車、地方の集落の厳しい実情を伺いました。若い人は集落を離れ高齢者は次々に亡くなり、無人となった家から 朽ちて崩れてゆく・・・ 自然との距離の近い高知ならではの神仏の話もいろいろ聞きました。路傍にはところどころお地蔵さまなどを祀った小さな祠があり、木の枝を折って そこに置くことで道中の無事を祈ることから「柴折様」と呼ばれるそうです。現在の津野町に安産の神社がありこの道が参道として利用されていたのではないかとのお話し。 しかし今の若い人はその存在すら知らず埋もれていくのも時間の問題だろうと。 一方で大野見にはかつて四国遍路を参考にした小さな88ヶ所巡礼があり、これも今では分散して埋もれていたので自分で寄付を呼び掛けて88の全てを見つけ出し 街中にまとめたとのこと。このご婦人の下車後、みどり屋という店の前にその地蔵群があるのを自分の目で確認しました。何も知らなければその大変な苦労も知らず素通りしてしまう車窓、 地元の人の話を聞けるコミュニティバスだからこそ何倍も味わい深いものになります。
その後乗車されたご婦人の話も興味深いもので、「まだ土葬だった若いころ、このあたりで火の玉を見て腰を抜かした。墓から墓へ、色は赤や青さまざま」というもの。 実際に火の玉を見たという人に初めてお会いしたので聞き入ってしまいました。今なお謎に包まれながらも、人間の骨の成分のリンが空気中で発光するのではないかなどと科学的な 仮説も立てられる火の玉。後で調べて知ったことですが高知県は土葬率の最も高い場所とのことで、土葬がほぼなくなった日本では生き証人の話を聞ける機会ももう少ないのかもしれません。 高知県出身の寺田寅彦は自身の随筆「人魂の一つの場合」の中で科学的な推察をしながら「われわれの子供の時分には、火の玉、人魂ひとだまなどをひどく尊敬したものである」と書いています。
萩中バス停 車窓から見える廃屋 町境界にある終点バス停
終点近くの奈路の交差点で下車し、ここから次の目的地である長野の沈下橋まで3qあまり四万十川に沿った県道19号線を歩きます。この区間に人家はまばらで、景色が寂しくなるにつれ 小雪は吹雪へと変わりました。沿道には「三又渡」「長野渡」といった高知県でよく見られる一本柱のバス停。橋が架かっている場所が以前は渡し場だっとことがわかります。今は船頭はもちろん人の姿すら見当たりません。 ようやくたどりついた長野の沈下橋でバスを待つこと約10分、その時が近づくにつれいよいよ吹雪は顔を横から下から容赦なく襲い掛かってきます。 全身真っ白になり意識がやや朦朧とする中でやっと撮った写真は、バスの姿もよく見えない吹雪の中の沈下橋でした・・・
三又渡バス停
長野渡バス停
吹雪の中姿を現したバス
残念な結果でしたが26分後に折り返しの窪川駅行きバスが再びこの橋を渡るので、もう一度撮影の機会があります。自由乗降区間のためそのままそのバスに乗り込む予定です。 ただ付近には雪宿りができるような場所もなく、体を震わせては降り積もる雪を払いのける修業が続きます。悪天候ということもあり、30分弱で橋を渡った車はたった1台、徒歩で渡る人の姿はまったく見かけません。 空中を舞う雪が白い人魂に見えてきました。何かの縁でしょうか、前述の「人魂の一つの場合」の寺田寅彦は祖父の代まではこの長野に住んでいたそうです。幸い折り返しのバスがやってくる直前に 白い人魂はほとんど消えてくれ、長野沈下橋を渡るバスの姿を写真に収めることができました。欄干のない橋をどこか不安げに渡る大型バスはやはり見ごたえがあります。
ようやく撮れた長野沈下橋を渡るバス
復路で見た沈下橋 川幅も広くなり雪もやみ
唯一の先客の小学生が下車し、四万十川や高知の名産物で運転手と話がはずみます。車窓の四万十川本流はさらに川幅を広げ、さきほどの吹雪が嘘のように車内には夕陽が差してきました。 乗車中の40分はあっという間に過ぎバスは窪川駅に滑り込みます。

かつて寺田寅彦は言いました。「災害は忘れたころにやってくる」と。高熱は2日後にやってきました。
土佐久礼駅13:40−【四万十交通500円】→14:05大野見(診療所前)14:10−【中土佐町バス100円】→14:41程落14:59−【中土佐町バス1000円】→15:30ごろ奈路(付近)…(徒歩3.5q)…長野渡16:38−【四万十交通1000円】→17:20窪川駅
2018年1月の情報


45豊後竹田駅〜米山〜原尻の滝(大野竹田バスなど)
潤いの道

田園地帯の川が突然落差20mの豪快な流れに変わることで有名な大分県の原尻の滝。最寄りの豊肥本線緒方駅からは2kmあまりでバスも運行されていますが、 今回は豊後竹田駅から米山(こめやま)で乗り換えて向かうことにしました。
豊後竹田の駅舎は白壁瓦屋根、裏の一条の細い滝(落門の滝)が借景となっています。 小さな青いバスがやってきました。大分バスグループの大野竹田バスです。原尻の滝の近くを通って緒方町の市民病院へ向かうのはこの1便のみですが、 途中の米山止まりの便は他に3便あり、地方の足としては恵まれています。
たった一人の客を乗せたバスは竹田の中心街を新たな乗客の気配もなく進みます。左手に大きな白壁、右手に裁判所が見えると、いよいよ細い路地から開放され、 しばらくは寂しげな県道8号線を上ります。途中の上角で一人のご婦人が乗車、日常の利用客がいることに安心します。 いくつかのトンネルをくぐり、最後に「隧道」の名のほうがふさわしい、岩肌が露出した長宇土トンネルを抜けると、河宇田に到着です。 日本名水百選に選ばれている竹田湧水群の中でも最も湧水量の多いのがこの付近一帯の河宇田湧水とのことです。
竹田市最後のバス停が十角(とすみ)温泉。低温の鉱泉だったらしいのですが、とうの昔に廃業してしまったようで、バス停だけに名残を残しているようです。 ご婦人はこの近くで下車されました。
小さな橋を渡って豊後大野市に入りました。春雨にもかかわらず桜と菜の花に彩られた山里は実に鮮やかです。細い道のため、対向車とのすれ違いが何回もあります。 実は米山において、このバスの到着時間と、次に乗るコミュニティバスの発車時間が同時刻なのです。乗り継ぎが難しい場合はこのまま乗車するという 安全策を用意してありますが、この旨を運転手さんに告げていたこともあり、定時に米山に到着することができました。 ついに客の姿がなくなった小さなバスに深々とお礼をして見送ります。
滝を背景に豊後竹田駅 白壁と裁判所 桜と菜の花
余談ですがここ米山から南に県道7号線を進むと、宮崎県境近くに1954年に閉山した尾平鉱山(おびらこうざん)があり、 鉱山の東に傾山、西に祖母山と、祖母傾山系をなす2つの峰がそびえています。
傾山には「吉作(きっさく)落とし」という悲しい昔話があります。 岩茸採りをしていた上畑の若者がちょっとした油断で急斜面の崖に取り残されてしまいます。 叫べども結局助けはこず、数日後には意識も朦朧として谷間に身を投げるというものです。
このような山深い地域の人口は鉱山閉山後に急減、1971年に上畑と尾平鉱山の路線バスが区間廃止され、これを機に緒方町が町営バスの運行を始めたようです。 町村合併後の現在では豊後大野市コミュニティバスとして、地域の重要な移動手段となっています。
米山バス停 白壁と裁判所 駅前の一風景
定刻より2分ほど遅れて原尻の滝に向かう白い車体がやってきました。数名の先客の姿があります。 市のコミュニティバスなので小さな集落も巡回します。このため時間はかかりますが、普段見られない奥深い集落の姿を堪能できるのが大きな魅力です。
新赤川トンネルを抜け県道を左折すると、さっそく右下に旅情をかきたてる古い石橋が見えてきました。 昔はああいう橋も小さな車が渡っていたのだろうなと感慨にふけっていると、なんとこのバスが渡るではありませんか。 左右の欄干は申し訳なさそうについている程度。ひびのようなものがところどころ見えるのは気のせいでしょうか。 少しひやひやしましたが、無事通過。
対岸の寺原を過ぎると、今度は増水時には絶対に渡れそうにないいわゆる「沈下橋」が見えてきました。 桜に囲まれた簡易な細い橋の通過に 淡い期待を持ちましたが、こちらは見事に裏切られました。 バスは竹林に囲まれた尾迫で折り返し、再び県道に合流します。 その後も次々に目に入るいくつかの古めかしい石橋を渡ったり渡らなかったりしながら、いよいよ原尻地区に入り車窓は最高潮を迎えます。 前方に原尻の滝が見えてきました。滝の姿は驚くほど近くなります。滝の真上の沈下橋を通過、目の前の水面が突然消える異様な光景が 広がります。日本一沈下橋の多い大分県ならではの演出、無事滝上を通過したところで下車しました。
米山バス停 白壁と裁判所 駅前の一風景
後続の折り返し便を撮影してみました。これほど滝すれすれを通過するバス路線はあまり記憶がありません。なかなかの迫力です。 なお原尻の滝バス停を通る路線は多くありますが、このように滝の真上を通るのは上緒方線の一部の便だけです。

※滝訪問の10日後、熊本や大分を中心とする大きな地震がありました。一日も早く平穏な生活が戻りますように。
駅前の一風景 駅前の一風景
駅前の一風景

竹田駅前12:58−【大野竹田バス】→13:22米山(こめやま)13:22−【豊後大野市営バス200円】→13:48原尻の滝
2016年4月の情報


44明科〜山清路〜さぎり荘〜新町(生坂村営バスなど)
犀川紀行

※この記事の生坂村営バスも掲載された書籍「秘境路線バスをゆく5」(イカロス・ムック)が書店などで発売中です。(2018.12追記)


槍ヶ岳を水源とし上高地を潤す梓川(あずさがわ)は、広い松本盆地を抜けると犀川(さいがわ)と名を変え 今度は一変して険しい峡谷を縫って、やがて長野市内で千曲川に合流します。その犀川に沿った険しい区間は 以前は水運の大変な難所だったようですが、現在では自治体バスが結んでいます。
松本から篠ノ井線で北へ2駅、明科駅前の国道の一角に「いくりん」と書かれた青いバスが待機していました。 第一走者の生坂村営バスです。紅葉真っ最中ですがあいにくの雨。 木戸橋で犀川を渡っていると、 「本当なら雪を冠った北アルプスの山々が見えるのに残念」と前方を指す運転手さん。 「毎日見ている地元の人でも美しいと思う風景」と乗客の方。そのたった一人の同乗客も生坂村に入る手前の 「小泉火の見下」バス停で下車、早くも貸し切り状態になってしまいました。
明科駅前バス停 生坂村営バス「いくりん」 駅前の一風景 晴天時には北アルプスも
生坂トンネル手前で犀川は大きく蛇行し、バスもいったん国道を外れ村役場のある中心部へ。 左手の川岸に寂しげに並んだ二つの白い影。大陸へ飛来をせずここに定住している白鳥だそうです。 生坂発電所のダムが水鳥公園になっているようです。
生坂村の人間社会はさらに寂しげで、人影が全くありません。話によると先ごろ村で唯一生鮮食料を販売していた店が 経営難で消えてしまったそうです。村の収入源は発電関連のほかは、村農業公社名物のうどんや個人の物産販売などごくわずか。 発想力豊かな若手村長が奮闘しているようですが、2000人にも満たない小さな村が昨今の地方への強い逆風に向かって 生き残るのは大変です。その状況下での村営バス運行は実にありがたいことです。
生坂ダム付近 まもなく山清路 山清路到着
この便は乗客の申告があった場合のみ、村中心部を抜けて山清路(さんせいじ)、古坂方面まで延長運転しますが、 山清路を訪れる観光客が利用することはまずないそうです。 再び渓谷沿いの国道を走行、車窓は一段と赤みを増します。いよいよ景勝の山清路に到着です。 あいにくの小雨ですが、展望台から見る切り立った岩肌と川面に映る紅葉はなかなか見ごたえがあります。
山清路バス停 山清路1 山清路2 山清路3
ここ山清路でも次の大町市営バスに乗り継げますが(※)、 1時間弱あるので宇留賀(うるが)の集落まで足をのばしてみました。これぞ秋の山里という風景が広がっていました。 そこに似つかわしくない大きなクレーンと橋脚が出現。実はこの山清路をトンネルで迂回する道が建設されていて、 バスの車窓から山清路を楽しめるのもあと数年かもしれません…
(※山清路のバス停は、生坂村は国道19号線上、大町市は県道55号線上にあり、約100mほど離れています。)
会バス停付近 道端に咲く季節外れの朝顔? 宇留賀バス停 宇留賀バス停と大町市民バス
宇留賀から乗った大町市民バス「ふれあい号」にはすでに10人近い先客がいました。再び山清路を通過します。 大町市の八坂バス停付近で乗客が次々に下車し、結局一人になって終点のさぎり荘に到着しました。 さぎり荘は温泉宿ですが、ジンギスカン料理が名物であることから、バス停の背後には遊牧民のテントがありました。 これがバスの待合室なのでしょうか。
さぎり荘到着間近の大町市民バス さぎり荘バス停と長野市営バス 長野市営バスの車窓
次は10分で長野市営バス信州新町行きに乗継。今までと同様に犀川沿いの紅葉が車窓に広がりますが、やがて視界が広がり町の雰囲気が漂います。 長野市の旧信州新町は地方の小さな町ですが、ここ数時間はバスの車内以外にほとんど人の姿を見なかったので、銀行や商店が並ぶ通りは 大都会に感じます。途中で一人乗車、アルピコ交通の営業所がある新町で二人とも下車しました。
明科駅からここ新町まで3つの自治体バスを乗り継いで合計800円。雨天でも犀川の渓谷美を十分に堪能できました。 ぜひ次は青空の下で北アルプスと紅葉を拝みたいものです。
なお新町からはアルピコ交通で長野駅まで1200円、篠ノ井駅まで940円。久米路峡など犀川の最終章を楽しみましょう。
明科駅10:10−【生坂村営バス400円】→10:41山清路…宇留賀11:31−【大町市営バス200円】→11:52さぎり荘12:02 −【長野市営バス200円】→12:17新町13:15−【アルピコ交通1200円】→13:52長野バスターミナル
2015年11月の情報


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