静岡の奥座敷
ここは朝の新静岡駅、雲ひとつない秋の空。バスを乗り継いで、静岡の奥座敷である井川へ向かいます。以前は井川まで
車掌も添乗する長距離直通バスがあったのですが、残念ながら2008年5月をもって廃止され、現在では途中で乗換えが必要です。
横沢行きバスはまだ紅葉の楽しめる安倍川の岸を上流へ。10kmほど走ると曙橋で初めて安倍川を横断し、
油山、松野といった集落を経由し、再び竜西橋で左岸へ戻ります。温泉で有名な梅ヶ島方面との分岐点である六番というバス停を
過ぎると、ここから先は安倍川の本流とお別れ、狭隘な道を通ります。車との行き違いのため何度も停車しながら、
静岡から70分あまりでバスは山中にある終点の横沢バス停に到着しました。
ここで45分後の井川地区自主運行バス白樺荘行きに乗り換えます。
茶畑と紅葉に囲まれた横沢。ただ谷川の音が響くだけ。日本の原風景を堪能します。
やがて「てしゃまんくん」と書かれた小さな車がやってきました。地元民話の力持ちである「てしゃまんく」が由来とのこと。
静岡市が運営するミニバスで、定員はわずか9人。「満員の場合乗車をお断りすることがあります」とあり心配しましたが、
結果、乗客は私一人。運行を開始してから登山や紅葉の繁忙期にも満席になったことはほとんどなく、
まれに満員になった場合でもピストン輸送など臨機応変に対応して頂いているようです。
このバス路線、時折息をのむような素晴らしい景色が車窓に広がります。特に富士見峠手前の富士山の眺め、井川付近の
井川ダムの眺めは運転手さんもおすすめでした。他に乗客がいないので、特別にバスを降りて写真をとらせてもらいました。
横沢から約1時間、カーブの連続で少し車酔いしましたが、運転手さんとの楽しい語らいのおかげで、
あっという間に井川駅に到着です。井川駅付近は今朝猿が石を落としたらしく、
通行規制になったとのことでした。この路線、しばしば通行規制で変更となるため、利用する場合は最新の情報を
確認してください。
井川駅は大井川鉄道の終点、小さな列車に乗って大井川の紅葉やアプト式の鉄道を存分に楽しみます。
帰路では再び夕焼けに染まる富士山を拝むことができました。
新静岡7:39−【しずてつジャストライン1150円】→8:55横沢9:40−【静岡市自主運行バス700円】→10:46井川駅前
2008年11月の情報
19 | (旭川空港〜)富良野〜南富良野(占冠村営バスなど) |
富良野縦断(路線図)
北海道には富良野の名のつく自治体が4つあります。上富良野町、中富良野町、富良野市、南富良野町です。
バスを乗り継いでこれらを縦断し、秋の富良野を満喫します。今回の出発は都合により旭川空港からです。
空港を経由して旭川と富良野を結ぶ路線をふらのバスが運行しています。車窓には大雪山や十勝岳
を背景にした富良野らしい景色。特に美瑛町から上富良野町に入る深山(みやま)峠付近の
車窓は見事です。途中国道をそれ上富良野と中富良野の中心部に寄って、空港からちょうど1時間で富良野駅に到着しました。
さらに南に向かうためラベンダーの薄紫色に塗られた占冠村営バスに乗り継ぎます。富良野と占冠の長い距離を結ぶ誰でも利用できる
自治体バスですが、並行するふらのバスとの競合を避けるため、富良野市内では下車できないという制約があります。
村民の重要な足であり、富良野市内で何人かの客を乗せ、小型バスの車内は意外に混雑します。布部、山部と車窓に単線の
根室本線を見ながら、やがて時には熊も出没する、空知川沿いのエゾマツやトドマツに囲まれた林を抜けると、まもなく南富良野町に
入ります。
制約のない最初のバス停が下金山消防前バス停、ここで下車します。小さな消防の建物の庭が南富良野町営バス
始発の下金山分遣前バス停となっていて、車庫もあります。下金山駅からも近い場所で、乗継時間の間で周辺の駅や
吊橋を散策。数少ない家々の前を通ると、11月初旬の秋風に乗って石油ストーブのにおいが漂っています。
続いて緑色の南富良野町営バスに乗り込みます。こちらも小さなバスで、バス停に停車するごとに車内はしだいににぎやかに。
山深い金山駅で数人の客を乗せると、地元客で半数以上の席が埋まりました。いよいよここから
金山湖と紅葉の競演が始まります。始めは右側にダム湖を見ますが、東鹿越で橋を渡るためその後は左側に。
午後の低い日差しに輝く紅葉が、青い湖に張り巡らされた金色の幕のようにも見えます。
「今年はまだ雪が降らないな」「(南富良野町の)北落合の方では降ったらしい」・・・ こんな運転手と客のやりとりから、
この地域は11月に入れば初雪が当然だということがわかります。他に具体的な鳥や獣の話題も多く、ダム湖周辺は生き物の
楽園であることもわかります。
やがてバスは町の中心部に入り、終点福祉センターに到着です。ここは映画の舞台ともなった風情ある駅舎のある幾寅駅や、
旭川や帯広方面への特急バスが停車する幾寅物産センターにも近い場所です。さて、次はどの便に乗って、残り少ない北海道の
秋を味わいましょうか。
旭川空港10:10−【ふらのバス750円】→11:10富良野駅前12:55−【占冠村営バス420円】→13:30下金山消防前
=下金山分遣前14:30−【南富良野町営バス100円】→15:20福祉センター
2011年11月の情報
銅山の残光(路線図)
※別子山〜伊予三島は2014年3月31日に廃止されました。
愛媛県の新居浜と伊予三島、両都市を山間部の別子山を経由して結ぶ公共交通があります。別子山地域バスです。
近年伊予三島と別子山の間の路線バスが廃止され、新居浜市が代替を開始。新居浜と別子山を
結ぶ便もあるので、新たな形の乗り継ぎが可能となりました。運賃は各400円、従来のバスと比べ格安です。
確実に乗るためには予約が必要ですが、真夏のこの日はほぼ貸しきり状態でした。
新居浜市内で二人の客を乗せ、小型バスは国領川に沿って高度を増します。右手にマイントピア別子という行楽施設が見えます。
別子銅山の施設跡を活用したものです。さらにループ橋を登り、車窓の渓谷美を堪能します。長い大永山トンネルを抜けると、
旧別子山村に入ります。道は細くなり、対向する別子山地域バスと行き違うために数分停車しました。県境の嶺々が別子ダムに
映り、水は独特の色合いをなしています。車酔いしながら、ようやく村の中心部に到着しました。
川のせせらぎと蝉の声。キャンプの観光客以外に人の姿はほとんどありません。ここから高知県との県境は3kmあまり。
乗り継ぎの3時間で、太田尾越を決行しましたが、虻と格闘、沢登りの難しい道を選択をしたためか途中で道が消え、
1時間登ったところであえなく断念。山奥には名も無き美しい滝がありました。
支所前に引き返しバス停で待っていると、バスを電話予約した時にお話した支所の方とバス停の前でお会いし、
村のことを説明してくれました。
かつて銅山でにぎわったこの村も、現在は廃屋も目立ち人口300人ほど。おすすめの時期はアケボノツツジが山を彩る5月とのこと。
その他の桜や紅葉の季節も素晴らしいそうです。
まもなく伊予三島行きの小さなバスがやってきました。客は私だけ、特等席である助手席に乗せてもらいました。
もともと伊予三島とつながりの深かった別子山、山深い車窓はさきほどと変化がありませんが、こちらの道は概して広く快適です。
しかし法皇隧道だけはわずか1車線、すれ違いにも緊張感があります。このトンネルをくぐり抜けると、景色は一変します。
前方には夕日に染まる燧灘と、眼下には目の覚めるような夕時の伊予三島の街並み、想像もしなかった光景です。
道端で少しだけ車を止めてくれました。以前伊予三島で働いていてこの景色を知り尽くしている運転手さんは、
特に夜景が素晴らしいと言います。
バスは最後に伊予三島の市街を巡回して駅に向かうので、踏み切りの近くで降りて歩いたほうが早いと言われ、下車しました。
伊予三島駅の2階から北口を眺めていると、やがてさきほどのバスが滑り込んできました。今度は駅で1人客を乗せて、
別子山に戻ってゆきました。
新居浜駅13:06−【別子山地域バス400円】→14:12筏津・・・別子山支所17:10−【別子山地域バス400円】→18:12伊予三島駅
2011年8月の情報
雪の鎮魂歌
(※震災後の情報です。)
宮城県石巻市は各地で津波の被害を受けました。今回は石巻住民バスを利用しますが、原則平日のみ運行で、地区によっては市民以外は利用できない
ものもあります。そのため時刻表など詳細を事前に確認しておく必要があります。
当ページでは以前から石巻市の皆様にお願いして時刻表を頂いて公開していましたが、震災以降はしばらく控えていました。
しかし今回ちょうど1年を区切りに、石巻を訪れることにしました。
はじめに雄勝地区を目指します。鹿又駅から2kmあまりの上品の郷(じょうぼんのさと)からバスに乗車できますが、あいにくの大雪です。
歩くのをやめ、石巻駅からバスを乗り継ぐことにしました。石巻駅は代替バスや仮設住宅とを結ぶバスと人が行き交っています。
朝の渋滞に巻き込まれ、河南行きの小さなバスは6分遅れてイオン石巻に到着。
月・水・金だけ北上地区住民バスがこのイオン石巻まで乗り入れているのです。やはり遅れてきた北上地区住民バスに乗り込みます。
上品の郷での接続時間が短く心配していると、運転手さんが乗り継ぐバスに連絡をつけてくれました。おかげさまで無事に、
雄勝地区住民バスに乗り換えることができました。こちらの愛称は「おがつ号」、ちょっと小さめの乗合タクシーです。
バスは長い間北上川南側の堤防上を走りますが、新北上大橋の交差点でようやく右折します。ここは大川小学校の児童らが
犠牲になったあの悲劇の場所ですが、詳細は後ほど触れます。一瞬だけその大川小学校を眼下に見ると、
バスは釜谷峠のトンネルを越えて、雄勝の中心部に入ります。以前雄勝小学校があった場所で下車します。
以前の中心地は一面の雪原で、周囲に人の生活の気配はありません。雄勝公民館の上には流された南三陸観光の観光バスがありました。
雄勝や北上の住民バスを受け持っているバス会社です。この車体は住民の希望で3月10日に撤去することになったようです。
人のぬくもりを感じられる唯一の場所は、旧役場の前にできた仮設の「おがつ店こ屋街」。しかし客の姿はほとんどありません。
少し奮発して海鮮丼を注文しました。実はこの店のご主人も津波で流され、奇跡的に助かった方です。何もないこの白い雄勝で
食事を提供して下さるのがとても有難い。
さて、帰路は先ほど触れた新北上大橋のたもとで下車しました。大川小学校はすぐそこ、何もできませんが多くの御霊に
ただただ手だけあわせます。橋詰には無数の石碑があります。現地の地理を知って怒りは募るばかりですが、これは別の場所で。
その後1km近い一部仮設の長い橋を渡って、対岸の北上地区にたどり着きました。小学校以上の惨状がいくつも生じた地区ですが、
子供の犠牲者が少ないこちらはほとんど報道されません。
北上支所の仮庁舎が置かれている保健センターから、再び北上地区住民バスに乗車し、今度は北上川北側の堤防をイオン石巻へ
引き返します。運転手さんは朝お世話になった方と同じでした。運転手さんはきさくに当時の経験を話してくれました。
当日の危機的な状況、多くの同僚、親類の死。どんな番組や本よりも自身の教訓になりました。心から感謝しています。
バスだからこそ行ける場所。バスでなければ聞けない話。石巻の住民バス関係者の皆さん、南三陸観光の皆さん、
ぜひ今後も石巻のために活躍してください。
石巻駅8:15−【ミヤコーバス270円】→8:39イオン石巻9:00−【石巻市営北上住民バス100円】→9:22上品の郷
9:24−【石巻市営雄勝住民バス100円】→9:59ごろ(旧雄勝小学校前)・・・(徒歩2km)・・・旧雄勝支所前12:30−【石巻市営雄勝住民バス100円】→
12:38ごろ(新北上大橋)・・・(徒歩2km)・・・保健センター13:09−【石巻市営北上住民バス100円】→14:00イオン石巻14:11
−【ミヤコーバス(高速)800円】→15:15仙台
2012年3月の情報
町は消えても
(※震災後の情報です。)
震災からまもなく1年、個人的にどうしても行きたい場所、それが陸前高田でした。詳細は別の場所でお話しすることにして、
ここではバスについて語ります。
気仙沼までは鉄道で移動できます。気仙沼には1年たっても目を覆いたくなるような光景が広がっていますが、そのような中で
バス停がしっかりと背を伸ばし、バスが元気に行き交う姿があります。戦後に焼け野原になった日本の復興を
彷彿とさせます。
震災前はここ気仙沼から陸前高田まで鉄道がありましたが、現在は不通。一日わずか2往復に減便されたバスを利用する必要があります。
岩手県交通が運行している特急一関線で、現在も一関と大船渡を結ぶ地域の大動脈です。気仙沼からは、駅または市役所の前から乗車できます。
まずバスは以前の面影のない寂しい沿岸部を走ります。ただ船だけが無残な姿で転がっています。
内湾から唐桑半島を越え太平洋側に出ると、残雪のリアス式の半島が囲む目の覚めるような青い海が広がります。この海が荒れ狂い、
多くの人を、家を、飲み込んだとは信じられませんが、低地を走れば家の基礎が広がるだけの光景がいやおうなく意識を
現実に戻します。それでも「海に恨みはない。」と語る海の人々。海を見つめる乗客の目を見て、
その気持ちがよく伝わってきました。
すっかり家が消えた大沢バス停を過ぎると、岩手県に入ります。まもなく右手車窓には高田松原で一本だけ残った
「奇跡の一本松」が手に取るように見えます。
陸前高田の沿岸部は全て流され中心機能は高台に移っているため、沿岸中心部最寄である気仙中学校バス停で
下車しました。バス停の前には天井まで津波に飲まれた気仙中学校が異様な姿をさらけ出しています。
がれきと残雪の中をぬって一本松にたどりつきました。約20年ぶりの再会です。しかしこの松ももはや絶望的とのこと・・・
「少し休みます。枯れても切らないでね。変ったかたちで蘇りますから」こう書かれた立て札が添えられていました。
続いてかつて津波で避難した公民館まで歩こうと思いましたが、全く当時の面影がありません。野原に奇跡的に地元の人の
姿がありました。公民館の位置をうかがうと、「あののぼりの旗の立っているところだよ。ここは全て流されて無くなって
しまったよ。」と教えてくれました。そこには公民館の基礎部分と、その玄関部にお供え物があるだけでした。ここで避難した
多くの方が亡くなったのです。手を合わせることしかできない無念さだけがこみあげてきました・・・
気仙沼市役所前13:52−【岩手県交通780円】→14:20気仙中学校前16:00−【岩手県交通780円】→16:28気仙沼市役所前
2012年3月の情報
たんでぃがーたんでぃ 今日はバス (伊良部大橋開通後に経路などが変更されています。)
宮古島の平良(ひらら)から高速船で10分の伊良部島。この沖縄の小さな島で活躍する小さなバスをご紹介しましょう。
宮古島から架橋中の伊良部大橋を眺めながら、伊良部島の玄関口の佐良浜港に到着すると、左手に小さなバス停があります。
ここから島唯一の路線バスが、佐和田へ向けて出発します。1日7往復で、今回の昼の便には10人ほどが乗車。
背後に宮古島を見ながら急な坂を上り、伊良部高校で高校生が1人下車すると、車内は全て島のおばあとなりました。
比較的若いバスの運転手さんが子供のときからすでにおばあだった人たちで、今では80歳、90歳だそうです。
地方の方言はバス車内の大きな楽しみですが、北東北と沖縄の高度な会話は全く聞き取れません。
少し寂しいさとうきび畑を抜けると、伊良部の中心部に出ます。この中心通りにはバス停も多く、時には
隣のバス停がもう見えるほどです。ヤング理髪店前、スーパーみなみ前といったバス停の目の前には、まさにその名の
店があります。一方で、ダキフガー、ダキヤーといった意味不明のカタカナのバス停もあります。そういったバス停で
1人ずつおばあが降りていき、終点の佐和田車庫の直前では私だけになりました。
終点佐和田車庫には、この共和バスの車庫があり、自動車整備工場を兼ねているようです。
この路線にはバス停ごとの時刻表が掲示されておらず、佐良浜港と佐和田車庫の出発時刻だけが
書かれています。利用者はこれでも困らないようです。さすが、島時間。念のため名刺サイズの時刻表を頂きました。
終点からあかばなー(ハイビスカス)の咲き乱れるさとうきびの小道をしばらく下ると、
佐和田の浜に到着です。サンゴ礁の青い海に無数の大岩が転がる不思議な光景。岩は明和の大津波で
運ばれてきたと言います。沖には下地島、飛行機訓練のための滑走路も見えます。
さて、最初に触れたように、伊良部島は2016年に宮古島と橋でつながる予定です。この共和バスの
現在の路線は変更になり、橋を渡って宮古島に乗り入れる予定とのこと。宮古島の中心である平良には
今後新しいバスターミナルが整備され、宮古地方で活躍する3つのバス会社の路線図は大きく変わることになります。
佐良浜港13:15−【共和バス290円】→13:35ごろ佐和田車庫・・・(徒歩)・・・国仲公民館15:00ごろ−【共和バス250円】→15:20佐良浜港
2011年12月の情報
16 | (天橋立〜)伊根〜経ヶ岬〜峰山(丹後海陸交通) |
ブルータンゴ
上記タイトルはアメリカ生まれのタンゴの名曲ですが、青い海に囲まれた丹後半島にぴったりです。
北近畿タンゴ鉄道の岩滝口駅は、天橋立駅の西隣です。時間に余裕があったので、駅から少し歩いて冶金前から丹後海陸交通の
赤いバスに乗車しました。
略称は丹海(たんかい)バスです。天橋立の北側の付け根までが阿蘇海、鏡のように穏やかです。さらに海沿いに北上すると、
やがて舟屋で有名な伊根の町に入ります。途中下車して散策してみました。舟屋は穏やかな伊根の海に面し、
その反対側が通りに面しています。海のすぐそばまで山が迫っているので、木造の茶色い家並みはこの細いバス通りに集中しています。
伊根バス停で待っていると、半島最北端の経ヶ岬へ向かうバスが舟屋の中からひょっこり姿を現しました。六万部、浦嶋神社前・・・
バスはしばらく内陸を走り続けますが、客の乗降はなく車内も車窓も少し寂しい状態です。しかし蒲入地区にさしかかると、
目の前には大海原が広がります。高い場所から見える海はとても大きく見えます。
運転手さんが徐行しながらたった一人の乗客に、「右の方がよく見えますよ」と親切に席の移動を勧めてくれました。
素晴らしい眺望なのでカマヤというバス停で
下車しました。ここから岬までは十分歩ける範囲です。
小さなトンネルを抜けると目の前に数十匹の猿が。人間の姿に驚いたのか一目散に山に逃げていきました。
やがて桜の咲き始めた経ヶ岬バス停に到着しました。ここから岬の灯台までかなりの距離があり、片道15分近くかかります。
近畿地方最北端に広がる青い海と白亜の灯台は、その苦労を十分に癒してくれます。
ここ経ヶ岬バス停から峰山まで1時間以上の長旅ですが、京丹後市が特例運賃を設定していて、なんと破格の200円。
車窓に広がる海も美しい。使いやすいバスなので、まもなく地元客で満員になりました。
途中読みの難しいことで有名な旧丹後町中心の間人(たいざ)や、鳴砂で有名な琴引浜を通過し、市役所のある峰山バス停に
到着です。市役所を見ながら峰山駅まで2kmあまり歩いてこの旅を終えました。
岩滝口駅・・・(徒歩)・・・冶金前8:14−【丹海バス760円】→8:51大島・・・伊根10:33−【丹海バス740円】→11:07カマヤ
・・・経ヶ岬13:05−【丹海バス200円】→14:22峰山・・・(徒歩)・・・峰山駅
2011年4月の情報
原発に一番近い路線バス
(※原発事故後休止も、2018年4月運行再開。以下は事故前の乗車記です。)
大きな事故を起こした福島第一原子力発電所。一部の町営バスを除いて、富岡と小塚(川内村)を結ぶ路線が、
原発に一番近い場所を走っていたバスでした。
全区間を乗車していませんが、一部をごく簡単にご紹介します。
富岡の一つ北隣、桜が咲き乱れることで有名だった夜ノ森駅。原発から約6kmの距離にあり、現在一般の方が
近寄ることはできません。かつてこの夜ノ森の原野を開発し、駅を誘致した但野氏の功績を称えた石碑があります。
路線バスは富岡駅が始発ですが、この夜ノ森駅から乗車することができます。午後のバスに数人の高校生と
一緒に乗り込みました。すぐに線路を越え山側に進みます。常磐富岡インターチェンジのある一帯は田んぼの広がる
中に住宅が点在する平地です。ここでバスは少し幹線を外れて細かく乗客を拾う設定になっていますが、全てのバス停で
空振りでした。
途中、上手岡というバス停を通過します。ここに麓山神社があり、看板によると毎年8月に火祭りが行われるそうです。
この勇壮な祭り、男衆の大松明を再び拝めるのはいつの日か・・・
ここを過ぎると、バスは坂を上り、急に視界は狭まります。やがて高い場所から建設中の滝川ダムを見下ろし、
さらに向こうに太平洋を望めます。ちょうど福島第一原発のある方向ですが、海側の崖を削って建設されたため
山側から全貌を見ることはできません。渓谷美を堪能していると、境川バス停に到着です。
その名のとおり、富岡町と川内村の境界の川にかかる小さな橋の脇にあります。山奥の寂しい場所で、
この近くに「あぶくま更生園」という体の不自由な方々の施設がありますが、今回の事故で直後より千葉県に
避難されています。
ここまでご紹介した地域は原発からの距離も近く、居住が許可されていない状況です。しかし、この境川より先の川内村は
2012年4月に村役場を元の場所に戻すという宣言をしました。少しずつですが時間は流れています。川内村の村民も
この路線バスが復活する日を心待ちにしています。
バスは便数も少なく、途中下車が難しい路線です。帰路は下り坂なので、せせらぎの音を楽しみながら駅へ戻りました。
夜ノ森駅12:57−【新常磐交通500円】→13:20(定刻より12分遅れ)境川・・・(徒歩)・・・14:55夜ノ森駅
2007年1月の情報
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