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20棚底〜御所浦(栄汽船など)
恐竜が迎える島

目指すは不知火海(しらぬいかい)に浮かぶ御所浦島。天草側からは本渡、棚底、大道、小屋川内の港と船で結ばれています。 しかし島民の需要が少ない昼前は便数も少なく、日帰り観光ではしっかりした計画が必要です。 わけあって昼前に島に到着する必要があるので、次のような計画を立てて産交バスの快速あまくさ号に乗り込みました。 松島到着予定が9:50、松島での乗継時間は5分あり同じバス会社なので接続もとられているはず。
松島9:55−(バス)→10:38上天草病院前・・・小屋川内港11:10−(龍丸:不定期運行)→11:35本郷港(御所浦島)

…という甘い予想は裏切られました。バスは8分遅れて松島に到着、乗継予定の赤崎行きのバスの姿はなし。 目の前に停車しているのは発車間際の棚底経由の本渡行きバス。わずかな望みをかけて他に乗客のいないバスに 乗り込みました。
松島10:00−(バス)→10:41棚底中央
40分あまりで棚底中央に到着、海に向かう坂を駆け下りて棚底港を見渡すもあたりは静まり返っています。 棚底から島に渡る船はすでに9:55に出ていて次の便は13:30ですから当然です。
棚底(たなそこ)は 天草の最高峰倉岳(標高638m)のふもとに広がる天草市倉岳町の中心集落、倉岳から吹き下ろす強風を避けるために いくつかの家の周囲には城郭と見紛うほどの立派な石垣が組まれています。

石垣と倉岳
御所浦島への航路
それでも棚底に来た理由、わずかな望みとは…海上タクシーです。入江や岬が多く、島々の点在する御所浦島近辺では 海上タクシーが発達しています。陸上と同じように料金は割高で棚底から御所浦島で最も近い嵐口(あらくち)へは 2008年改定表によれば3000円。ただしこれは1隻あたりの料金なので同乗者がいれば割安になります。棚底港の待合室に入り 窓口の人に聞いてみても同乗者が来るかは運しだいとのこと。売店などもなく椅子が整然と並べられただけの寂しい室内にいても 仕方ないので半ば諦めの色を顔に浮かべて外に出ます。 5分ほどでしょうか、しばらく祈るような気持ちで港に立っていると小型船がやってきました。船の人にたずねるとこれが海上タクシー、 乗船は予約した人に相談してほしいとのこと。振り返ると嵐口へ渡るという小さなお子さん二人を連れたご夫婦の姿が。 状況を説明してお願いすると快く同乗を許可してくれました。まさに「渡りに船」「渡る世間に鬼はなし」とはこのことです。
(海上タクシー利用は加計呂麻島以来2度目、この「おすすめ航路」では原則として海上タクシーを扱っていませんが、今回は特別に ご紹介します。)

静まり返った棚底港

海上タクシーは操舵の様子がよく見える

御所浦島の嵐口に到着

予想をはるかに上回る幸運と急展開に心の準備が追いつかないまま船に乗り込みます。 よく見ると船の前方に「あまくさ海上タクシー協会」「最大搭載人数14人」とあります。 熊本から御所浦の実家に帰省するというご一家。この年の春に起こった熊本の大地震でご自宅の屋根なども被害を受けたとのこと。 家族水入らずの場をお邪魔したにもかかわらず、皆さん温かく和やかで気持ちの良い時間を提供してくれました。 小型の海上タクシーは豪快に水しぶきをあげながら快調に島々を抜け、わずか10分あまりで御所浦島の嵐口に到着です。 嵐口の港には孫を出迎えるお父さんらしき姿がありました。家族の笑顔と青い海。どうぞお幸せに。

牧島とを結ぶ橋

栄汽船の乗船券
嵐口から2km弱、途中右手に牧島を見ながら本郷港を目指して歩きました。 御所浦島には白亜紀の古い地層が広がっていて、恐竜の化石も発見されています。本郷港では恐竜の首がお出迎え。 港にあるしおさい館では食料や島の名産品だけでなく、乗船券も販売しています。棚底まで400円のきっぷを買いました。 館内では観光客が土産物選びに目を輝かせ、外のベンチでは島民が政治談義に花を咲かせています。 まだまだこの島は大丈夫そうです。

恐竜の島らしい像

御所浦島本郷港 しおさい館

第八栄久丸
御所浦の航路は船の大きさも運営会社も寄港地も多種多様です。 今回やってきたのは栄汽船の第八栄久丸。横浦島を経由して棚底まで25分の船旅です。 横浦島には北の与一ヶ浦港と南の横浦港があり、大型フェリーは与一ヶ浦港のみを経由しますが、 この小さな船は横浦港に寄港します。港周辺には家や人の姿も見られました。 横浦島の人口は約600人、しかしその数は急減しています。この島の小中学校は近年廃校となり、子供は船で御所浦島に通学しているようです。 天草や御所浦との架橋の計画もありますが完成の見通しは立っていません。
船の最前部には無造作に数冊の雑誌が置かれていて、最前列の常連客は景色を楽しむ様子もなく本に集中しています。 不知火海は瀬戸と名がつく細い水路も多く操舵も楽ではありません。第八栄久丸はこの後2018年2月15日に本渡瀬戸で浅瀬に乗り揚げ 両舷プロペラ翼を曲損する事故を起こしたとの記録があります。航路図を見ると与一ヶ浦寄港の場合は望薩峠と横島の間の狭い瀬戸を通過 するようですが、この便は沖合を運航するようで安心です。 前方に倉岳が大きく見えてきました。船はゆっくりと棚底の港内に滑り込みます。 常連客は急いで数ページをめくったと思うと、雑誌を前に返しました。船内の乗客が次々に立ち上がり出口に詰めかけます。 往路の棚底港で味わったあの緊張と歓喜の余韻は、颯爽と船を降りる人々にかき消されてしまいました。

2019年4月よりこの御所浦関連航路が大きく再編されるという情報があり、2016年の乗船体験を懐かしんでとりあげてみました。

横浦島南部の横浦港

第八栄久丸最前部 雑誌が置かれている

復路はにぎやかな棚底港に上陸

棚底−【海上タクシー※】→嵐口(御所浦島)…(徒歩2km)…本郷(御所浦島)12:35−【栄汽船 400円】→13:00棚底
  2016年12月の情報


19松山〜中島(中島汽船)
みかんの島へ

中島汽船のきっぷ  まだ年も夜も明けきらぬ1月早朝の松山三津浜港、気温は2℃。 6:55、忽那(くつな)諸島へ向かう中島汽船第一便の出港です。 このフェリーは途中松山の高浜港に寄り、睦月(むづき)島、野忽那(のぐつな)島を経由して中島の大浦港との間を 1時間20分で結びます。
三津浜港 切符売り場 第一便まもなく出港 中島汽船の船内
今回の乗る船は「なかじま」、会社の情報によると676トン、1994年進水、同社保有現役船では最古参です。 定員400人以上の船内には座敷席、椅子席、テーブル席とあり、思ったより快適で窮屈さを感じません。 進行方向前面の窓からは穏やかな瀬戸内の海や島々がよく見渡せ、船酔いの心配もなさそうです。
高浜出港後に船外に出ると7:30、山の端から朝日が姿を見せました。 マストの「中」の字が鮮やかに照らし出されます。
松山の夜が明ける 中島汽船と日の出 睦月島に入港
この航路では入出港の時にある歌が流れます。
レモン 伊予柑 みかんの花が咲いて 島はいいかおり さわやか花ざかり
島をはなれた人 元気にしてますか 瞳くもらせて 疲れていませんか
後で調べたところ「白いかおりの島へ」という歌で、上の歌詞は1番と2番の一部。 歌は坂本冬美、作曲浜口庫之助という豪華な顔ぶれに驚きです。 まもなく成人の日で船内には晴れ着の人の姿も。 島に帰省する新成人にはどう聞こえたのでしょうか。 前方に大きく見えはじめた睦月島、そしてこの歌が元気よく船内に響きます。
船の先頭部だけを島の小さな港につけて、短時間でわずかな乗客が入れ替わります。 続いて睦月島から10分あまりで野忽那島。こちらはさらに小さな島で乗降客がいたのかわからないほど 人の姿はまばらでした。
人口は睦月島276人、野忽那島141人、いずれの島も現在では小学校しかなく、中学生はこの船で 中島まで通学しているようです。欠航が少ない航路なので特に問題ないのでしょう。
さらに10分あまりで終点中島大浦港に到着です。港の周囲には役場や銀行など2階建て以上の建物も多く見え 途中の2つの島に比べるとかなり規模の大きな島のようです。人口は約2900人とのこと。 港のすぐ北には立派な選果場、道路端から山上までみかん畑が多くあり、歌詞のとおり柑橘類に囲まれた豊かな島です。
中島大浦港に到着 中島汽船名物のおでん 大浦港ではみかんの販売も
最後に、冬の中島汽船のさらなる魅力が「食」。フェリーの名物はなんといってもおでん。 45年おでんを作り続けてきた女性が2017年9月で引退し存続が危ぶまれていましたが、その後も 後輩に引き継がれました。
もう一つの楽しみは大浦港待合室の一角で島のご婦人たちによってひっそり販売されているみかんなどの柑橘類。 選果場ではじかれた規格外品を格安で販売しています。 この日は中島特産の高級ブランドみかんの紅マドンナが5個で250円と格安、さらにサービスよと言って 裸の紅マドンナを1つ手渡してくれました。 帰りの船内で食べたみかんとおでんは思い出深い味となりました。

三津浜6:55−【中島汽船 890円】→8:15大浦港(中島)
  2018年1月の情報


18牛川〜大村(牛川渡船)
川底をさぐって

牛川渡船は愛知県南部を流れる豊川の両岸を結ぶ小さな渡船です。豊橋市が無料で運航しています。上流に下条橋、下流に吉田大橋がありますが、 いずれも渡船から2kmほど距離があります。牛川渡船は一説によると平安時代からあったとか。実際はわかりませんが、相当の長い歴史を持つ貴重な航路のようです。

まず交通手段について、豊橋市の案内によれば創造大か創造大東のバス停から徒歩10分、もしくは路面電車の東八町電停から徒歩20分と書かれています。 実際の最寄りは青陵中学校前バス停で、地図とにらめっこして住宅街の路地を抜けると徒歩5分ほどで到着します。
と書きながらも、せっかくなので今回は渡船の名にちなんで牛川バス停から訪れてみました。こちらからは徒歩10分ほど。 (周辺地図
創造大東バス停 東八町電停 牛川バス停

県道69号線沿いに歩くと牛川渡船の看板と「渡船はこちらです」という手書きの絵が。自然に旅情が深まります。 付近は何やら工事をしているようですが、案内に従って進むと発着場がありました。小鳥の鳴き声の響く小さな森と豊川の小さな 流れに囲まれた発着場はまるで別世界。白鳥、かわせみ、うぐいすなどの鳥類から、きつね、たぬき、ハクビシン、アライグマと いった小動物まで、実に多くの生き物の棲家となっているようです。しかし周辺は長い間区画整理工事が行われているらしく、 この発着場の自然豊かな小さな森も消えてしまうのではないか心配されています。

こちら牛川側に古めかしい山荘のような船頭待機小屋があり、おそらく今日一番目の客の姿にすぐに気付いてくれました。 気が付かない時の合図のために、左岸では木槌で「船よび板」をたたき、右岸では金属の棒をぶつけあい、音で客の到来を知らせる 仕組みになっているようです。原始的ですが、実に風情があります。 (運行時間や船よび板などについては右下の写真をクリックしてください。)
牛川渡船案内看板1 牛川渡船案内看板2 木々に囲まれた船頭待機小屋
無料かつ手漕ぎで往復という非常に申し訳ない条件なのですが、有難いことに私のような少数の観光客にも丁寧に対応してくれます。 毎日のように自転車通学で「利用してくれる」学生は以前より減ったものの、今でも一定数いるとのこと。船頭さんの「利用してくれる」という 表現に、利用者を大切に思う気持ちが伝わってきます。
さあ対岸に向けて出発です。 定員11名の「ちぎり丸」。10人分の座席があり、船頭1人を加えた結果なのでしょうか。船上は縁がなくほとんど平らで、自転車などでも乗りやすいような 構造になっています。ただ屋根がないので雨に濡れるのはご愛嬌。
この渡船にはさらに珍しい特徴があります。それは比較的浅い川底を長い「もり」のような棒で突きさす形で人力で進むということです。 また上流側の上空にはワイヤーがかけられ、船とロープで結ばれ流されないようになっています。
定員11名の小型船 もりで川底を突き刺す船頭 上流のワイヤー
右から、そして次に左から順に棒を入れると、船は春の穏やかな川面をゆっくりジグザグと進みます。かなり力を使う作業に 見えますが、船頭さんは慣れているのか悠然としています。5分足らずで対岸に到着しましたが、やはりこちらも小さな森で特に 何もありません。 こちら側は交通の便が悪く、さらにバスなどに乗り継いで遠方へ向かう観光客の需要が見込めないのが残念なところです。
いずれにしてもこの渡船は豊橋市の一級の観光資源です。ぜひいつまでも残ってほしい。菜の花越しに見えるちぎり丸の姿は気のせいか 少し寂しげに見えました。
牛川渡船全景

(2018年2月追記)
記事掲載から3年、牛川の様子を大変よくご存知の方から衝撃の情報と写真を頂きました。

「牛川の渡しは、区画整理事業に伴う宅地開発が進み、趣きのある風景がなくなり、残念ながら現在は、洋風の住宅が建っています。」
ご提供の写真は菜の花の渡しのものとほぼ同角度から撮影されたものと思われますが、 あの動物や鳥たちが集う豊かな森は見る影もありません。あまりの変化に言葉を失いました。
牛川渡船その後
(2018年3月追記)
2月の追記をご覧になった別の方から、仮航路に関する情報と写真を頂きました。
区画整理事業に伴い、2015年10月からは元の場所より下流域で仮航路として運航されているそうです。(詳細は豊橋市のHPで)
かつてのような豊かな森はないものの、大きなヤドリギなどもあり、天気の良い日には以下のような風景も楽しめるようです。
大村町(右岸)から牛川町(左岸)を見る
大村町(右岸)から牛川町(左岸)を見る
牛川町(左岸)から大村町(右岸)を見る
牛川町(左岸)から大村町(右岸)を見る
牛川町(左岸)から上流を見る
牛川町(左岸)から上流を見る
牛川町(左岸)のヤドリギ
牛川町(左岸)のヤドリギ

牛川(左岸)8:30ごろ−【豊橋市牛川渡船 無料】→8:35ごろ大村(右岸)
  2015年3月の情報


17堀岡〜越ノ潟(富山県営渡船)
海に消えた鉄路

かつて富山市と高岡市を海沿いに結ぶ小さな鉄道がありました。しかし中間の新湊付近の海岸部を掘削して富山新港を建設したため 鉄道が寸断されてしまいました。この区間の代替を担ってきたのが今回ご紹介する富山県営渡船です。
富山市側の鉄路はもうありません。廃線跡を専用道とした魅力あるバス路線があったのですが、最近になってこれも廃止されてしまいました。 現在では一部を「健康づくりウォークコース」として活用しています。
富山駅からバスに乗り終点の新湊東口で下車すると、目の前に県営渡船の堀岡発着場があります。寒さに体を小さくして 入口の扉を開けると、一台の小さなストーブが静かな待合室を暖めていました。
廃線跡 健康づくりウォークコース 新湊東口に到着したバス 堀岡発着場
堀岡発の船は始発6:44、最終20:29で、 朝夕のラッシュ時を除いて30分ごとの運行です。所要5分、運賃無料。渡船には「海竜」「こしのかた」の2つの船が使われ、 大きさ約45t、長さ16m、幅5.8m、時速15km/h、最大定員110人との説明書きがありました。ともに造船からまもなく30年を迎えようとして いて、そろそろ船の寿命を考える時期に入りつつあるようです。
この航路、実は廃止の危機にありました。2012年に新湊大橋が完成し、翌年歩行者道も開通。しかし強風時の揺れが 想定をはるかに超えていたため、廃止予定だった渡船も、減便されたものの継続となったのです。夜間は タクシー(深夜は予約制)が運行されているので、現在ではかなり恵まれた環境となっています。
堀岡待合室のストーブ こしのかた 船室
さて、そういった背景も把握してさっそく乗船です。今回は「こしのかた」でした。船には開放された客席もありますが、 寒い冬ですから乗客3人は全員暖房の効いた客室へと迷わず入ります。「窓を開けないで下さい」との注意書きがロシア語でも表記 されています。高岡市の伏木とウラジオストクとの間には以前定期航路がありましたが、今でもロシアの人々の利用があるのでしょうか。 右手の湾口部に架かる巨大な新湊大橋を見上げていると、あっという間に対岸の越ノ潟に到着しました。 乗組員はこちらの越ノ潟に常駐しているようで、下船作業をさっさと終えると、「富山県富山新港管理局船舶課」と書かれた部屋に 姿を消しました。
新湊大橋とロシア語 越ノ潟に到着 万葉線越ノ潟駅
越ノ潟から高岡市側は鉄道が残っています。路面電車として人気のある万葉線です。渡船発着場の目の前に越ノ潟駅やバス停があるので、 こちらも乗り換えが便利です。
海に消えた鉄路に代わる航路。富山の深い交通史を教えてくれた小さな船の旅でした。
堀岡9:14−【富山県営渡船 無料】→9:19越ノ潟
  2014年12月の情報


16尾道〜向島(向島運航など)
駅前渡船

「駅前の桟橋から向かいの島に船で渡る。」各地で見られたこんな風景が急速に消えていますが、 広島県の尾道ではいまなお健在です。尾道と対岸の向島を結ぶ航路は2014年現在3航路あります。いずれも朝6時から夜10時頃まで、 頻繁に運航している尾道市民の足であり、海からの景色を楽しむ観光客の人気の乗り物でもあります。

(1)尾道(駅前)−向島(富浜)【向島運航100円】
まずは駅前と向島の富浜を結ぶ向島運航、通称「駅前渡船」に乗船してみましょう。駅前の横断歩道か歩道橋を渡って100mあまり、 すぐ乗り場に到着します。自転車で渡る客が目立ちますが、この航路に限り自動車では乗れません。最上部の操舵室が寺の 屋根の形をした小さな船がやってきました。運賃100円は船内でただ一人の甲板乗務員に支払います。船は左手に尾道市街を眺めながら 水道を斜めに横切り、今度は向島の運河に入って造船所の横を約400m進みます。向島の中心部により近い富浜に到着します。 ここには通勤や通学に使われているたくさんの自転車が並べられていました。この航路、たった一つの船で随時ピストン運航を しています。
尾道駅 向島運航乗り場 向島運航の船
運河に入る 運河を進む 富浜の乗り場

(2)尾道(土堂)−向島(小歌島)【福本渡船60円】
富浜から先ほどの運河沿いに400m戻れば、海に面した小歌島に着きます。復路はここから福本渡船に乗ってみましょう。 尾道3航路の中で最も安い60円。運賃は小歌島の乗り場の窓口で支払います。自動車も乗れるので、甲板上の係員は2名で対応 していました。距離も短くわずか3分ほど、小さな船室に座る暇もなく、あっという間に対岸の土堂に到着です。こちらも昼間は一隻で 往復していますが、朝夕の混雑時には二隻で運航しているようです。3m未満の車の運賃もわずか80円、良心的です。 ガソリン代の高い昨今、尾道大橋まで迂回することを避ける車の利用者が多いようです。
小歌島の乗り場 福本渡船 土堂の乗り場

(3)尾道(土堂)−向島(小歌島)【尾道渡船100円】
そして最も東で運航するのが尾道渡船。この航路大変歴史が古いようで、千光寺から千光寺新道、渡し場通りを下ると、この渡船場に 出ます。看板には「日本一短い船旅」「千光寺をバックに写真を撮りませんか」「渡船に乗って夜景を見よう」とありました。 運賃は100円。今回乗船しませんでしたが、千光寺などを眺めるのには最適な航路のようです。
日本一短い船旅の看板 尾道渡船 船から見る尾道市街

尾道(駅前)12:03−【向島運航100円】→12:09向島(富浜)・・・(徒歩400m)・・・ 向島(小歌島)12:23−【福本渡船60円】→12:26尾道(土堂)
  2014年9月の情報


15鹿児島〜宝島(十島村)
トカラ第8の島

屋久島と奄美大島の間に浮かぶトカラ列島、これらの小島を結ぶのが十島村営船「フェリーとしま」です。 船好きの方には、日本でも有数の秘境航路として知られています。

(1)利用が困難な航路
週にたった2往復、荒れやすい海域とあって、利用しづらい航路です。各島への航空便はなく、これが実質唯一の交通手段です。 実は1度目の挑戦では荒天のため長期にわたり欠航し、鹿児島への往復航空券を無駄にしました。今回も低気圧の接近で波が高く、 金曜夜鹿児島発の便は翌日に延期されましたが、何とか1日遅れで乗船できました。 (夜11時出発ですが、通常は9時から乗船できます。)
また平島、小宝島では港湾状況が厳しく、車輌の上下船の制限や、寄港を断念する「抜港」も珍しくありません。今回復路は 強風のために揺れが激しく、船酔いとの戦いになりました。
なお運賃は最南の宝島まで2等でも片道7800円かかり、一般客は往復割引もありません(往復券は買えます)。不便な島での 宿泊は1泊3食で7000円前後、欠航で島に閉じ込められればその数倍となるので、金銭や時間の面でも覚悟が必要です。
フェリーとしま 食堂 メニューと営業時間 ←メニューと営業時間(クリックで拡大)
2等 2等寝台 1等ラウンジ
(2)充実した施設
トカラの7つの有人島を結ぶ重要な航路であり、この船はトカラ第8番目の島とも言えます。客対応の船員は純白のワイシャツを 着用し、さながらホテルのよう。高齢の利用者も多く、エレベーターが設置され診療所も併設されています。4層構造の船の最上部である 航海船橋甲板にはヘリコプターが発着できる場所が確保されています。また下りは夜行のためシャワーも完備されており、 売店を兼ねた食堂もあります。料理はレンジ調理のようですが、カレー(630円)はなかなかの美味でした。鹿児島出港時は大変混みます ので、それ以外の時間帯をおすすめします。
2等船室は指定席となっていて、閑散期の2月にもかかわらず半分くらい埋まっていました。一人当たりのスペースが狭いものの、 マット・毛布・枕がしっかり用意されています。なお2等寝台や1等はかなりゆったりできる構造になっています。
船全景 タラップ ランプウエー
(3)島民による作業
上の写真の白いヘルメットをかぶった港湾作業員、実はみな一般の島民なのです。例えば宝島では55歳までの健康な男性は タラップ取り付けなどの港湾作業が義務になっているそうです。ただ宝島の上り便は毎回早朝6時の入出港となり、 その負担は非常に大きいように見えます。それでも島の生命線であるこの航路を維持するために手順に従い黙々と作業する姿に 頭が下がります。

(4)魅力的な風景
最後に各島の入港風景などをご紹介・・・ (口之島と中之島は下り便では未明到着のため、上り便の写真を掲載)
船が夜の錦江湾を抜けると、外海のゆれに促されるように眠りにつきます。未明に野生牛が群れる口之島、最も広く人口も一番多い 中之島に寄港するとやがて夜が明けました。平家落人伝説の平島、いまなお活発に噴火する諏訪之瀬島、奇祭「ボゼ」で有名な 悪石島、人口50人の一番小さな小宝島と次々に寄港し、鹿児島から12時間あまりで最後の島である宝島に到着です。なお船はさらに 奄美大島の名瀬まで向かいます。
各島の間の所要時間は30〜70分、どの小島でも10人あまりの客が下船し、宝島入港時には船内はすっかり寂しくなりました。 ここまで南下すると鹿児島出港時とは全く違った気候になり、思わず上着を脱ぎ捨てます。温暖な海域で、夏にはイルカや トビウオの姿もよく見られるそうです。
口之島 中之島 平島
口之島(くちのしま) 中之島(なかのしま) 平島(たいらじま)
諏訪之瀬島 悪石島 小宝島
諏訪之瀬島(すわのせじま) 悪石島(あくせきじま) 小宝島(こだからじま)
宝島 多くの港の岸壁には、前回の皆既日食を機に書かれた壁画があります。下船する人々と島の人々が笑顔であいさつを交わします。 船からは食料、建材、郵便物など多くの貨物が積み降ろされ、その量によって出港時間は大きく前後します。今回往復便とも予定より 1時間以上遅れました。島の生命線である船の遅れはいつものことのようで、誰一人として焦ったり苛立ったりする人は見当たりません。 十島村のホームページには「ここは刻を忘れさせる島」と紹介がありました。
宝島(たからじま)

鹿児島23:00−【十島村営船フェリーとしま 7800円】→11:15宝島
  2014年2月の情報


14神津島〜利島(〜下田)(神新汽船)
海に浮かぶ花畑
航路 少し古い乗船記になりますがご容赦を。ご紹介するのは別コーナーでも少し触れている伊豆半島の下田と神津島(こうづしま)を結ぶ 神新(しんしん)汽船です。2008年の春、神津島から利島まで乗船する機会がありました。神津島には2つの港があります。通常は 中心集落に近い西岸の神津島(前浜)港発着ですが、この日は風が悪く東側の多幸港発着となりました。多幸港に向かう町営バスの バス停がなかなか見つかりません。少しあせって神津島港近くにいた工事関係者の方に尋ねると、なんと偶然にもこれから同じ船に 乗るということで、作業車に同乗させてもらいました。下田に帰るそうです。
多幸港1 多幸港2
透明な海、むきだしの火山、快晴の多幸港の景色は実に見事です。そこに遅れてやってきた小さな船、神新汽船のあぜりあ丸です。 貨客船のため、客室は少し小さめです。
神新汽船あぜりあ丸 神津島の景色
あぜりあ丸は途中、式根島、新島、利島などに寄港して伊豆半島に向かいますが、その順番は曜日によって異なるので注意が必要です。 また小型船のためよくゆれます。神津島で車に乗せてくれた方々が立派なお弁当をくれました。ありがたく頂戴しましたが、 船酔いがひどいので食べるのは後ほど。そしてこの方たちは船の常連客のようで、乗組員とも仲良く語り合っています。 そして私が船旅好きだと分かると、「あれ」を見せてやってくれと頼んでくれます。何だろうと期待して特1等船室に入ると、 そこには鮮やかに咲き誇る花畑があるではありませんか。
花毛布
船員さんのお話によると・・・
  船の中のものは、船にあるもので用意しなければならない。ホテルで豪華な花を飾るように、豪華船室を華やかに したい。そこで登場したのが花毛布。毛布を見事に仕立て上げ、まさに船室に薔薇が咲いたように見えます。 あぜりあ丸の特1等船室の定員は約10名ですが、その全ての毛布がそれぞれ違った形をしているから驚きです。 この技術は100年近く前からあったようですが、現在花毛布が見られるのはあぜりあ丸を除いて他にないのではという ことでした。なお、1つの花毛布を1分あまりで作ってしまうそうです。匠の技です。
なお匠のHPはコチャックの操舵室2で、東海汽船のHPからも リンクされています。あまりにきさくな方だったので当日はわからなかったのですが、この方、あぜりあ丸の船長さんでした。
式根島に寄港 利島に到着 利島に停泊するあぜりあ丸
さて、円錐形の利島が見えてきました。波、風向、時には航海士の技術にもよる着岸の難しい港なのです。 当時3月の着岸率は約50%でしたが、この時は波も低くほぼ無風、まれにみる好条件でした。 利島での乗降客は私一人、あぜりあ丸の匠が笑顔で見送ってくれました。
その後私も利島の高台に上がり、先ほどもらった弁当を食べながらあぜりあ丸の姿を見送りました。初春の利島には 椿の花毛布が広がっていました。
あぜりあ丸と大島 利島の椿 利島のウスイゴウ園地

神津島12:00−【神新汽船あぜりあ丸1230円】→14:30利島
  2008年3月の情報


13塩釜〜野々島〜寒風沢(塩釜市営汽船)
松島を守った島々、島々を支える人々
航路 宮城県の松島沖に浮かぶ浦戸諸島、塩釜市の船が塩釜とこれらの島々を結んでいます。本塩釜駅から徒歩8分ほどのマリンゲート 塩釜が発着地。この建物も2011年の津波で1階が浸水し、多くの人が上階に避難して助かりました。 市営船は窓口がなく、塩釜発のきっぷは券売機で買うようです。
この航路は、桂島、野々島、石浜、寒風沢を経由して朴島に向かいます。このうち桂島と石浜は同じ島にあります。 そしてこの主要航路を補完するように、野々島と石浜、野々島東側と寒風沢を結ぶ2つの無料の渡船があり、 充実した島巡りを可能にしてくれます。 今回は野々島で下船、島を1kmあまり歩いて横断し、東側から渡船で寒風沢(さぶさわ)に移動し、寒風沢より市営汽船で塩釜に戻る 計画をたてています。
マリンゲート塩釜 船「しおじ」 かなりの混雑ぶり
塩釜から乗る船の名は「しおじ」。夏の日曜の朝とあって船内は観光客でかなり混雑していました。 下層が空調の効いた部屋なのに対し、上層が開放された展望空間となっています。 猛暑にもかかわらず意外にも客は両方に分散しています。出港してすぐ上層の人気の理由がわかりました。 おびただしい数のかもめです。かつて松島から塩釜まで観光船に乗った時、かもめに餌付けした修学旅行での一風景を思い出しました。 かもめはだいぶ沖までついてきますが、そのかもめの数も少なくなってきた頃、周囲に松を生やした無数の小島が見えてきます。 いかにも松島らしい風景です。
塩釜港とかもめ まだついてくるかもめ 松島らしい風景
桂島 野々島到着 「しおじ」としばしの別れ
野々島に到着しました。周囲は予想よりひどい津波被害で、多くの家の基礎がむき出しになっています。 どこが主要道かよくわかりません。海岸沿いの家の手入れをし、庭にきれいな花を咲かせていた方に、東側に通じる道をたずねました。 島を横断する電柱と電線を目標に行くように助言を下さり、あわせて当時の過酷な体験をやさしい口調で語ってくれました。奇跡的に この島では人的被害がありませんでした。もともと津波への危機感を持っていたためしっかり高台に避難したそうです。 もっと話を聞きたかったのですが、先を急がねばなりません。頭上の電線を目標にすると、ようやく軌道に乗れました。
津波の被害が残る集落 野々島から見る海 野々島東側渡船場
途中見える海と島々がきれいです。高台の小道は生い茂る木々の日陰となって風も爽やかです。小さな島で、あっという間に東側の 渡船場に到着しました。プレハブ小屋があり、ここに船頭さんが常駐しているようです。対岸の寒風沢までお願いすると、元気良く 出航させてくれました。小さな船の上に白いベンチが2列。もともとは目の前に見える対岸までわずか100mほどの距離の運航でしたが、 現在は寒風沢が仮設桟橋のため約400m北東の位置までの延長航路となっているようです。こういう渡船が無料で運航されていることは、 実にありがたいことです。 (利用にあたっては、時間などいくつかの注意事項があるので、詳しくは 浦戸諸島のサイトをご確認ください。)
渡船出発 渡船 津波の被害を受けた寒風沢に到着
寒風沢側には仮設の船待合所があり、小さな室内に日焼けした先客が一人いました。一瞬ボランティア関係者だと思いましたが、 帽子を見るとあの有名な黒猫が描かれていて、宅配の方だと気がつきました。浦戸諸島にはカーフェリーがありません。 港に着くと荷物を台車に載せ、徒歩で集落をまわるそうです。仮設住宅は高台にあるため、以前より配達は大変になったとのこと。 それでもお盆前に60個近くあった荷物がお盆が明けて10個程度に減り、寒風沢の配達もだいぶ楽になったそうです。 塩釜行きの船「しおじ」が朴島から戻ってきました。寒風沢出港時点で客はわずか3人、往路の喧騒が嘘のよう。 宅配の方は次の石浜で下船し台車に荷物を積めていました。その姿は実に頼もしく見えました。

今回の津波では浦戸諸島が防波堤となって松島に大きな被害がなかったといいます。その一方で壊滅的な被害を受けた浦戸諸島は 人的被害が少なかったためにあまり注目されていません。 松島を守った島々があり、その島々を支える人々がいる・・・
せめてこの市営汽船を利用して、微力ながら復興の一助となることを願うだけです。
塩釜9:30−【塩釜市営汽船550円】→10:01野々島・・・(徒歩1.3km)・・・(野々島東側)10:37頃−【塩釜市渡船 無料】→10:40頃 寒風沢10:58−【塩釜市営汽船600円】→11:44塩釜
  2013年8月の情報


12今福〜飛島〜殿浦(鷹島汽船)
古戦場をゆく

2009年に橋が開通し九州と陸続きになった鷹島ですが、今も長崎県松浦市との間に2つの航路が運営されています。 この日は春の嵐、御厨とを結ぶ外海に面した便は全て欠航。そこでより内湾の今福からの航路を利用することにしました。
鷹島口駅 駅から坂を下る 今福交通待合所
鷹島への船が発着する今福港の最寄駅は今福駅ではなく鷹島口駅なのでご注意を。
松浦鉄道鷹島口駅より石段を降りれば、左手奥にフェリーの姿が見えました。細い路地を縫って5分ほど歩くと、 今福交通待合所に到着です。少し風が強いが運航しているとのこと。安心して切符を買いました。
フェリーの名前は「ニューたかしま2」、土曜の昼の便ですが私を含め客はたった5人です。 船内の案内図を見ると、前面の展望の開けた1等客室が定員34名、2等客室が定員71名とありますが、 実質は等級の区別はないようで、みんな好きな席でくつろいでいます。
きっぷ ニューたかしま2 船内
思ったより穏やかな湾内を進むこと20分、前方に霧雨に煙った小島が近づいてきました。手前が無人島の小飛島、奥が飛島、 この船は飛島に寄港します。飛島はかつては2000人が暮らし、炭鉱でにぎわっていたらしいのですが、 閉山で今は人口80人とか・・・廃墟が並ぶ何とも寂しい島に。 船はゆっくり港に近づき、象の鼻のように前方のタラップを垂らすと、傘をさした2人が降りました。 降りた瞬間にタラップは再び閉まり、船はさっそくバックします。わずか15秒程度の着岸、なんと効率の良い寄港でしょうか。
今福港 飛島 殿ノ浦港
この穏やかな海域ですが、700年あまり前には激戦が繰り広げられました。文永の役、弘安の役です。暴風雨を避け鷹島の南側に 避難した元の大軍でしたが、嵐に耐え切れず多くの船と兵士がこの海の底に沈んでいきました。生き残った兵士は鷹島に上陸し、 鎌倉幕府の武士との間で壮絶な戦いになり、結果多くの島民も犠牲になりました。現在もこの海底には貴重な歴史が沈んでおり、 多くの歴史学者が集います。飛島から15分、その海の重さをかみしめるように、船は鷹島の殿ノ浦港に到着しました。
外壁は新しいが内部は古めかしい殿ノ浦港の待合室。島の中心部までは十分歩ける距離ですが、 天気が悪いことと急勾配であることから松浦市営バスを利用しました。島には元寇に関する資料館のほか、史跡も残っていますので、 当時の激戦に思いをめぐらせ散策してはいかがでしょうか。
殿ノ浦下船風景 殿ノ浦港の待合所 鷹島から海を見下ろす


→13:07鷹島口・・・(徒歩5分)・・・今福港13:20−【鷹島汽船420円】→ 13:55殿浦14:00−【松浦市営バス140円】→14:05営業所前
  2013年4月の情報


11那覇〜南大東島・北大東島(大東海運)
空を舞う人と船

今回はいよいよ知る人ぞ知る南北大東島航路のご紹介です。南北大東島は沖縄本島の約300km東方に浮かぶ、まさに陸の孤島。 天気が荒れれば延期、欠航は当たり前、でも実際に乗れば数々の驚きに遭遇する、間違いなくおすすめの航路です。

この航路は夜行便でほとんどが寝台のため完全予約制、早めに申し込みましょう。 実際のきっぷの購入は、那覇フェリーターミナル(とまりん)の2階にある大東海運の小さな事務室です。 営業時間に注意。無事きっぷを購入すると、注意事項が書かれた紙を渡されました。 30分前までに乗船、荷物は少なくということです。
(1)乗船 3時〜4時30分まで
(2)出港 5時
(3)乗船取消の場合 ・事前に取消の連絡をして下さい
(4)手荷物 一人2個まで 大きな荷物は貨物として午前中に預けて下さい。
2個以上は運賃を頂きます。
※これは2011年5月時点の情報です。最新情報に注意して下さい。
きっぷ
5月5日、すでに梅雨に入っている沖縄ですが奇跡的に青空が広がります。波も穏やか、航海日和です。 港左手奥の小さな乗り場にはすでに中型の船「だいとう」が入港し、最後の貨物の積み入れをしていました。船には垂れ幕があり、 「南北大東航路5月引退、21年間ありがとう」とあります。なんとこの船は今月で引退し、来月から新造船が 運航するらしいのです。
21年間ありがとう 船内 寝台
船内には2つの大広間(各10人)と4つの寝台部屋(各8人)のすべての客室が同一階にあります。 この日の客は全員寝台を使っているようです。食堂や売店はありませんので、しっかりした食事をしたい場合はあらかじめ 購入しておきましょう。それでも公衆電話と自動販売機、2つの給湯ポットがあります。 甲板の小さなベンチですするカップラーメンが実にうまい。さらに美しい夕日、闇に消えそうな沖縄島尻の灯かりをもっと味わって いたかったのですが、船酔いが心配なので早めに横になります。思ったより心地よいベッドです。同部屋の人はすでに就寝中のようで静か。 私もゆっくり寝られました。
那覇港出港 夕日が沈む
目が覚めました。すがすがしい朝です。この船は今回は南大東島先着の北大東島行きです。順調な航海で、予定よりだいぶ早く 南大東島に到着したようです。降りる人たちが荷物を持って船橋後部のデッキに集合しています。 いよいよこの船の名物、「クレーン上陸」です。島に大きな港がなく岸壁に安定して着けないので、人間は籠に入り、港のクレーンに つるされて上陸します。その巧みなクレーン操作には驚きます。
乗り込む人々 クレーン上陸1 クレーン上陸2

南大東島での人と貨物の積み下ろしが終わると、次は約1時間で北大東島です。南大東島にもまして荒涼とした島です。さきほどと 同じようにクレーン上陸。いよいよ実際に体験、浮かび上がりました。青空に包まれて、船「だいとう」と島の岩肌を見下ろす瞬間は、 実に不思議な感覚。見た目と違って、空中、着地、いずれの時も揺れがほとんどなく、何事もなかったように北大東島に降り立って いました。
港には待合室などはありませんが、周辺には以前のリン鉱石採掘関連施設跡があり、その崩れかかった建物はまさに遺跡と呼ぶべき寂しい 風景です。港から少し上った場所にある船の事務所で帰りの船の予約を確認しておきました。 (南大東島も同様に港から坂を上がった少し離れた場所に事務所があり、きっぷや荷物を取り扱っています。)

北大東島は日差しが強く、サイクリングをした私は重度の日焼けをしてしまいました。くれぐれも対策をお忘れなく。 さて、同日午後の便で南大東島に渡ります。この時見た怪しいほどコバルト色に輝く透明な海と、そこに浮かぶ船の姿が 今でも目に焼きついています。海底が見えるほど透明度が高いと、そこに大きな船が浮いていることがとても不思議に感じるのです。
島の岩肌 透明度の高い海 北大東島のだいとう
船の脇から脱出 だいとう 南大東島沖のだいとう
北大東島は例のごとくかごに入ってクレーン操作で乗船します。南大東島行きの客はわずか4人。短距離なので、寝台部屋ではなく、 ソファーのある小さな部屋に案内されました。南北両大東島を見ながらの航海。この船、南大東島に着岸する気配がまったくなく、はるか 沖で停船しました。船員から全員荷物を持って船の下層へ移動するように言われました。壁のドアを開けると、なんとそこには目の高さ すれすれの海面が広がっています。ここから横づけされた小船(南大東3号という名でした)に移り、この船が島まで乗客を運ぶのです。 これがあの有名な「はしけ」方式です。「だいとう」の船体が頭上に大きく見えます。難破直前の船から脱出する感覚とはこのようなもの でしょうか。
上陸時にさらなる驚きがありました。この小船に陸のクレーンからロープがかけられます。次の瞬間小船ごと浮き上がり、 体が宙に舞います。船と一緒にあっという間に上陸…
航路だけでなく、南北大東島はとても魅力ある島です。期待を裏切らない孤島への旅でした。
那覇泊港17:00−【大東海運5540円】→ 10:00北大東(西)港16:00−【大東海運830円】→17:00南大東(西)港
  2011年5月の情報