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目指すは不知火海(しらぬいかい)に浮かぶ御所浦島。天草側からは本渡、棚底、大道、小屋川内の港と船で結ばれています。 しかし島民の需要が少ない昼前は便数も少なく、日帰り観光ではしっかりした計画が必要です。 わけあって昼前に島に到着する必要があるので、次のような計画を立てて産交バスの快速あまくさ号に乗り込みました。 松島到着予定が9:50、松島での乗継時間は5分あり同じバス会社なので接続もとられているはず。
(海上タクシー利用は加計呂麻島以来2度目、この「おすすめ航路」では原則として海上タクシーを扱っていませんが、今回は特別に ご紹介します。)
予想をはるかに上回る幸運と急展開に心の準備が追いつかないまま船に乗り込みます。 よく見ると船の前方に「あまくさ海上タクシー協会」「最大搭載人数14人」とあります。 熊本から御所浦の実家に帰省するというご一家。この年の春に起こった熊本の大地震でご自宅の屋根なども被害を受けたとのこと。 家族水入らずの場をお邪魔したにもかかわらず、皆さん温かく和やかで気持ちの良い時間を提供してくれました。 小型の海上タクシーは豪快に水しぶきをあげながら快調に島々を抜け、わずか10分あまりで御所浦島の嵐口に到着です。 嵐口の港には孫を出迎えるお父さんらしき姿がありました。家族の笑顔と青い海。どうぞお幸せに。
船の最前部には無造作に数冊の雑誌が置かれていて、最前列の常連客は景色を楽しむ様子もなく本に集中しています。 不知火海は瀬戸と名がつく細い水路も多く操舵も楽ではありません。第八栄久丸はこの後2018年2月15日に本渡瀬戸で浅瀬に乗り揚げ 両舷プロペラ翼を曲損する事故を起こしたとの記録があります。航路図を見ると与一ヶ浦寄港の場合は望薩峠と横島の間の狭い瀬戸を通過 するようですが、この便は沖合を運航するようで安心です。 前方に倉岳が大きく見えてきました。船はゆっくりと棚底の港内に滑り込みます。 常連客は急いで数ページをめくったと思うと、雑誌を前に返しました。船内の乗客が次々に立ち上がり出口に詰めかけます。 往路の棚底港で味わったあの緊張と歓喜の余韻は、颯爽と船を降りる人々にかき消されてしまいました。 2019年4月よりこの御所浦関連航路が大きく再編されるという情報があり、2016年の乗船体験を懐かしんでとりあげてみました。
棚底−【海上タクシー※】→嵐口(御所浦島)…(徒歩2km)…本郷(御所浦島)12:35−【栄汽船 400円】→13:00棚底 2016年12月の情報
高浜出港後に船外に出ると7:30、山の端から朝日が姿を見せました。 マストの「中」の字が鮮やかに照らし出されます。
船の先頭部だけを島の小さな港につけて、短時間でわずかな乗客が入れ替わります。 続いて睦月島から10分あまりで野忽那島。こちらはさらに小さな島で乗降客がいたのかわからないほど 人の姿はまばらでした。 人口は睦月島276人、野忽那島141人、いずれの島も現在では小学校しかなく、中学生はこの船で 中島まで通学しているようです。欠航が少ない航路なので特に問題ないのでしょう。 さらに10分あまりで終点中島大浦港に到着です。港の周囲には役場や銀行など2階建て以上の建物も多く見え 途中の2つの島に比べるとかなり規模の大きな島のようです。人口は約2900人とのこと。 港のすぐ北には立派な選果場、道路端から山上までみかん畑が多くあり、歌詞のとおり柑橘類に囲まれた豊かな島です。 もう一つの楽しみは大浦港待合室の一角で島のご婦人たちによってひっそり販売されているみかんなどの柑橘類。 選果場ではじかれた規格外品を格安で販売しています。 この日は中島特産の高級ブランドみかんの紅マドンナが5個で250円と格安、さらにサービスよと言って 裸の紅マドンナを1つ手渡してくれました。 帰りの船内で食べたみかんとおでんは思い出深い味となりました。 三津浜6:55−【中島汽船 890円】→8:15大浦港(中島) 2018年1月の情報
牛川渡船は愛知県南部を流れる豊川の両岸を結ぶ小さな渡船です。豊橋市が無料で運航しています。上流に下条橋、下流に吉田大橋がありますが、 いずれも渡船から2kmほど距離があります。牛川渡船は一説によると平安時代からあったとか。実際はわかりませんが、相当の長い歴史を持つ貴重な航路のようです。 まず交通手段について、豊橋市の案内によれば創造大か創造大東のバス停から徒歩10分、もしくは路面電車の東八町電停から徒歩20分と書かれています。 実際の最寄りは青陵中学校前バス停で、地図とにらめっこして住宅街の路地を抜けると徒歩5分ほどで到着します。 と書きながらも、せっかくなので今回は渡船の名にちなんで牛川バス停から訪れてみました。こちらからは徒歩10分ほど。 (周辺地図) 県道69号線沿いに歩くと牛川渡船の看板と「渡船はこちらです」という手書きの絵が。自然に旅情が深まります。 付近は何やら工事をしているようですが、案内に従って進むと発着場がありました。小鳥の鳴き声の響く小さな森と豊川の小さな 流れに囲まれた発着場はまるで別世界。白鳥、かわせみ、うぐいすなどの鳥類から、きつね、たぬき、ハクビシン、アライグマと いった小動物まで、実に多くの生き物の棲家となっているようです。しかし周辺は長い間区画整理工事が行われているらしく、 この発着場の自然豊かな小さな森も消えてしまうのではないか心配されています。 こちら牛川側に古めかしい山荘のような船頭待機小屋があり、おそらく今日一番目の客の姿にすぐに気付いてくれました。 気が付かない時の合図のために、左岸では木槌で「船よび板」をたたき、右岸では金属の棒をぶつけあい、音で客の到来を知らせる 仕組みになっているようです。原始的ですが、実に風情があります。 (運行時間や船よび板などについては右下の写真をクリックしてください。) さあ対岸に向けて出発です。 定員11名の「ちぎり丸」。10人分の座席があり、船頭1人を加えた結果なのでしょうか。船上は縁がなくほとんど平らで、自転車などでも乗りやすいような 構造になっています。ただ屋根がないので雨に濡れるのはご愛嬌。 この渡船にはさらに珍しい特徴があります。それは比較的浅い川底を長い「もり」のような棒で突きさす形で人力で進むということです。 また上流側の上空にはワイヤーがかけられ、船とロープで結ばれ流されないようになっています。 いずれにしてもこの渡船は豊橋市の一級の観光資源です。ぜひいつまでも残ってほしい。菜の花越しに見えるちぎり丸の姿は気のせいか 少し寂しげに見えました。
牛川(左岸)8:30ごろ−【豊橋市牛川渡船 無料】→8:35ごろ大村(右岸) 2015年3月の情報
かつて富山市と高岡市を海沿いに結ぶ小さな鉄道がありました。しかし中間の新湊付近の海岸部を掘削して富山新港を建設したため 鉄道が寸断されてしまいました。この区間の代替を担ってきたのが今回ご紹介する富山県営渡船です。 富山市側の鉄路はもうありません。廃線跡を専用道とした魅力あるバス路線があったのですが、最近になってこれも廃止されてしまいました。 現在では一部を「健康づくりウォークコース」として活用しています。 富山駅からバスに乗り終点の新湊東口で下車すると、目の前に県営渡船の堀岡発着場があります。寒さに体を小さくして 入口の扉を開けると、一台の小さなストーブが静かな待合室を暖めていました。 この航路、実は廃止の危機にありました。2012年に新湊大橋が完成し、翌年歩行者道も開通。しかし強風時の揺れが 想定をはるかに超えていたため、廃止予定だった渡船も、減便されたものの継続となったのです。夜間は タクシー(深夜は予約制)が運行されているので、現在ではかなり恵まれた環境となっています。 海に消えた鉄路に代わる航路。富山の深い交通史を教えてくれた小さな船の旅でした。 堀岡9:14−【富山県営渡船 無料】→9:19越ノ潟 2014年12月の情報
「駅前の桟橋から向かいの島に船で渡る。」各地で見られたこんな風景が急速に消えていますが、 広島県の尾道ではいまなお健在です。尾道と対岸の向島を結ぶ航路は2014年現在3航路あります。いずれも朝6時から夜10時頃まで、 頻繁に運航している尾道市民の足であり、海からの景色を楽しむ観光客の人気の乗り物でもあります。 (1)尾道(駅前)−向島(富浜)【向島運航100円】 まずは駅前と向島の富浜を結ぶ向島運航、通称「駅前渡船」に乗船してみましょう。駅前の横断歩道か歩道橋を渡って100mあまり、 すぐ乗り場に到着します。自転車で渡る客が目立ちますが、この航路に限り自動車では乗れません。最上部の操舵室が寺の 屋根の形をした小さな船がやってきました。運賃100円は船内でただ一人の甲板乗務員に支払います。船は左手に尾道市街を眺めながら 水道を斜めに横切り、今度は向島の運河に入って造船所の横を約400m進みます。向島の中心部により近い富浜に到着します。 ここには通勤や通学に使われているたくさんの自転車が並べられていました。この航路、たった一つの船で随時ピストン運航を しています。 (2)尾道(土堂)−向島(小歌島)【福本渡船60円】 富浜から先ほどの運河沿いに400m戻れば、海に面した小歌島に着きます。復路はここから福本渡船に乗ってみましょう。 尾道3航路の中で最も安い60円。運賃は小歌島の乗り場の窓口で支払います。自動車も乗れるので、甲板上の係員は2名で対応 していました。距離も短くわずか3分ほど、小さな船室に座る暇もなく、あっという間に対岸の土堂に到着です。こちらも昼間は一隻で 往復していますが、朝夕の混雑時には二隻で運航しているようです。3m未満の車の運賃もわずか80円、良心的です。 ガソリン代の高い昨今、尾道大橋まで迂回することを避ける車の利用者が多いようです。 (3)尾道(土堂)−向島(小歌島)【尾道渡船100円】 そして最も東で運航するのが尾道渡船。この航路大変歴史が古いようで、千光寺から千光寺新道、渡し場通りを下ると、この渡船場に 出ます。看板には「日本一短い船旅」「千光寺をバックに写真を撮りませんか」「渡船に乗って夜景を見よう」とありました。 運賃は100円。今回乗船しませんでしたが、千光寺などを眺めるのには最適な航路のようです。 尾道(駅前)12:03−【向島運航100円】→12:09向島(富浜)・・・(徒歩400m)・・・ 向島(小歌島)12:23−【福本渡船60円】→12:26尾道(土堂) 2014年9月の情報
屋久島と奄美大島の間に浮かぶトカラ列島、これらの小島を結ぶのが十島村営船「フェリーとしま」です。 船好きの方には、日本でも有数の秘境航路として知られています。 (1)利用が困難な航路 週にたった2往復、荒れやすい海域とあって、利用しづらい航路です。各島への航空便はなく、これが実質唯一の交通手段です。 実は1度目の挑戦では荒天のため長期にわたり欠航し、鹿児島への往復航空券を無駄にしました。今回も低気圧の接近で波が高く、 金曜夜鹿児島発の便は翌日に延期されましたが、何とか1日遅れで乗船できました。 (夜11時出発ですが、通常は9時から乗船できます。) また平島、小宝島では港湾状況が厳しく、車輌の上下船の制限や、寄港を断念する「抜港」も珍しくありません。今回復路は 強風のために揺れが激しく、船酔いとの戦いになりました。 なお運賃は最南の宝島まで2等でも片道7800円かかり、一般客は往復割引もありません(往復券は買えます)。不便な島での 宿泊は1泊3食で7000円前後、欠航で島に閉じ込められればその数倍となるので、金銭や時間の面でも覚悟が必要です。
トカラの7つの有人島を結ぶ重要な航路であり、この船はトカラ第8番目の島とも言えます。客対応の船員は純白のワイシャツを 着用し、さながらホテルのよう。高齢の利用者も多く、エレベーターが設置され診療所も併設されています。4層構造の船の最上部である 航海船橋甲板にはヘリコプターが発着できる場所が確保されています。また下りは夜行のためシャワーも完備されており、 売店を兼ねた食堂もあります。料理はレンジ調理のようですが、カレー(630円)はなかなかの美味でした。鹿児島出港時は大変混みます ので、それ以外の時間帯をおすすめします。 2等船室は指定席となっていて、閑散期の2月にもかかわらず半分くらい埋まっていました。一人当たりのスペースが狭いものの、 マット・毛布・枕がしっかり用意されています。なお2等寝台や1等はかなりゆったりできる構造になっています。 上の写真の白いヘルメットをかぶった港湾作業員、実はみな一般の島民なのです。例えば宝島では55歳までの健康な男性は タラップ取り付けなどの港湾作業が義務になっているそうです。ただ宝島の上り便は毎回早朝6時の入出港となり、 その負担は非常に大きいように見えます。それでも島の生命線であるこの航路を維持するために手順に従い黙々と作業する姿に 頭が下がります。 (4)魅力的な風景 最後に各島の入港風景などをご紹介・・・ (口之島と中之島は下り便では未明到着のため、上り便の写真を掲載) 船が夜の錦江湾を抜けると、外海のゆれに促されるように眠りにつきます。未明に野生牛が群れる口之島、最も広く人口も一番多い 中之島に寄港するとやがて夜が明けました。平家落人伝説の平島、いまなお活発に噴火する諏訪之瀬島、奇祭「ボゼ」で有名な 悪石島、人口50人の一番小さな小宝島と次々に寄港し、鹿児島から12時間あまりで最後の島である宝島に到着です。なお船はさらに 奄美大島の名瀬まで向かいます。 各島の間の所要時間は30〜70分、どの小島でも10人あまりの客が下船し、宝島入港時には船内はすっかり寂しくなりました。 ここまで南下すると鹿児島出港時とは全く違った気候になり、思わず上着を脱ぎ捨てます。温暖な海域で、夏にはイルカや トビウオの姿もよく見られるそうです。
鹿児島23:00−【十島村営船フェリーとしま 7800円】→11:15宝島 2014年2月の情報
船の中のものは、船にあるもので用意しなければならない。ホテルで豪華な花を飾るように、豪華船室を華やかに したい。そこで登場したのが花毛布。毛布を見事に仕立て上げ、まさに船室に薔薇が咲いたように見えます。 あぜりあ丸の特1等船室の定員は約10名ですが、その全ての毛布がそれぞれ違った形をしているから驚きです。 この技術は100年近く前からあったようですが、現在花毛布が見られるのはあぜりあ丸を除いて他にないのではという ことでした。なお、1つの花毛布を1分あまりで作ってしまうそうです。匠の技です。 なお匠のHPはコチャックの操舵室2で、東海汽船のHPからも リンクされています。あまりにきさくな方だったので当日はわからなかったのですが、この方、あぜりあ丸の船長さんでした。 その後私も利島の高台に上がり、先ほどもらった弁当を食べながらあぜりあ丸の姿を見送りました。初春の利島には 椿の花毛布が広がっていました。 神津島12:00−【神新汽船あぜりあ丸1230円】→14:30利島 2008年3月の情報
今回の津波では浦戸諸島が防波堤となって松島に大きな被害がなかったといいます。その一方で壊滅的な被害を受けた浦戸諸島は 人的被害が少なかったためにあまり注目されていません。 松島を守った島々があり、その島々を支える人々がいる・・・ せめてこの市営汽船を利用して、微力ながら復興の一助となることを願うだけです。 塩釜9:30−【塩釜市営汽船550円】→10:01野々島・・・(徒歩1.3km)・・・(野々島東側)10:37頃−【塩釜市渡船 無料】→10:40頃 寒風沢10:58−【塩釜市営汽船600円】→11:44塩釜 2013年8月の情報
2009年に橋が開通し九州と陸続きになった鷹島ですが、今も長崎県松浦市との間に2つの航路が運営されています。 この日は春の嵐、御厨とを結ぶ外海に面した便は全て欠航。そこでより内湾の今福からの航路を利用することにしました。 松浦鉄道鷹島口駅より石段を降りれば、左手奥にフェリーの姿が見えました。細い路地を縫って5分ほど歩くと、 今福交通待合所に到着です。少し風が強いが運航しているとのこと。安心して切符を買いました。 フェリーの名前は「ニューたかしま2」、土曜の昼の便ですが私を含め客はたった5人です。 船内の案内図を見ると、前面の展望の開けた1等客室が定員34名、2等客室が定員71名とありますが、 実質は等級の区別はないようで、みんな好きな席でくつろいでいます。 外壁は新しいが内部は古めかしい殿ノ浦港の待合室。島の中心部までは十分歩ける距離ですが、 天気が悪いことと急勾配であることから松浦市営バスを利用しました。島には元寇に関する資料館のほか、史跡も残っていますので、 当時の激戦に思いをめぐらせ散策してはいかがでしょうか。 →13:07鷹島口・・・(徒歩5分)・・・今福港13:20−【鷹島汽船420円】→ 13:55殿浦14:00−【松浦市営バス140円】→14:05営業所前 2013年4月の情報
南大東島での人と貨物の積み下ろしが終わると、次は約1時間で北大東島です。南大東島にもまして荒涼とした島です。さきほどと 同じようにクレーン上陸。いよいよ実際に体験、浮かび上がりました。青空に包まれて、船「だいとう」と島の岩肌を見下ろす瞬間は、 実に不思議な感覚。見た目と違って、空中、着地、いずれの時も揺れがほとんどなく、何事もなかったように北大東島に降り立って いました。 港には待合室などはありませんが、周辺には以前のリン鉱石採掘関連施設跡があり、その崩れかかった建物はまさに遺跡と呼ぶべき寂しい 風景です。港から少し上った場所にある船の事務所で帰りの船の予約を確認しておきました。 (南大東島も同様に港から坂を上がった少し離れた場所に事務所があり、きっぷや荷物を取り扱っています。) 北大東島は日差しが強く、サイクリングをした私は重度の日焼けをしてしまいました。くれぐれも対策をお忘れなく。 さて、同日午後の便で南大東島に渡ります。この時見た怪しいほどコバルト色に輝く透明な海と、そこに浮かぶ船の姿が 今でも目に焼きついています。海底が見えるほど透明度が高いと、そこに大きな船が浮いていることがとても不思議に感じるのです。 上陸時にさらなる驚きがありました。この小船に陸のクレーンからロープがかけられます。次の瞬間小船ごと浮き上がり、 体が宙に舞います。船と一緒にあっという間に上陸… 航路だけでなく、南北大東島はとても魅力ある島です。期待を裏切らない孤島への旅でした。 那覇泊港17:00−【大東海運5540円】→ 10:00北大東(西)港16:00−【大東海運830円】→17:00南大東(西)港 2011年5月の情報 |