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10大橋川左岸〜右岸(矢田渡船)
薄れゆく1300年の船灯

湖や川に囲まれた「水の都」松江にも渡し船があります。大橋川を渡す通称「矢田の渡し」、古事記の時代から1300年以上の歴史があると 言われる伝統ある渡船です。ご多分に漏れず、廃止の危機にあります。さらに残念なことに、大変利用しにくい状況にあります。 平日の朝夕だけの運航で、しかもその営業時間は近年さらに短くなっています。2012年7月23日からは朝7〜9時、夕4〜6時まで。 とはいっても、右岸側、左岸側ともにバスの便があり、うまく時間が合えば利用価値が大きい渡船です。
地図
左岸(北)側の乗り場は松江市営バスの矢田の渡しバス停の目の前。こちらに渡船の事務所の小さな建物があります。 運航している正確な時間帯がわからないとバスの運転手に言うと、親切にも確認するまで停車してくれていました。 運航はまもなく16:00から。両手で高く丸を作りお辞儀すると、安心したようにバスは出発しました。
左岸側乗り場 案内
営業時間さらに短縮 乗り場の様子 船体
渡船の事務所の方々に最近の様子をうかがいました。利用者のほとんどは松江市立女子高校の生徒。しかし2012年3月、 1km上流に橋が開通したことで利用者が激減。現在では1日に2、3人しか利用のないことも。それでも風と勾配のきつい橋を 避け、こちらを利用する生徒の需要はあるようです。距離は120m、所要1分と短距離ながら、松江市の補助があり運賃は40円 (自転車10円追加)と良心的。矢田渡船の事業者は、昼間の時間帯に観光船を運航し経営を成り立たせています。

高校生の帰宅風景を撮影したかったのですが、利用客は姿をみせません。1月の夕刻、寒くなってきました。断念です。 旅客定員28人の小さな船を出してもらいます。乗船時間が短いこと、自転車の利用客が多いことから、座席はありません。 夕日に映える大橋川を味わっていると、あっという間に対岸に到着しました。そしてあっという間に船は引き返して左岸に 到着しました。
簡単そうに見える操船ですが、常にこうはいかないそうです。特に冬の朝、濃い霧が立ち込める中で多くのシジミ漁の船が 出航します。川右岸(南側)から乗船する場合は登校する生徒たちがボタンを押してパトライトを点灯させ対岸に合図するのですが、 そのかすかな光に向かって他の船を避けながら蛇行します。経験と勘がものをいいます。
操縦室 船上 景色
右岸側 もどってゆく船 矢田バス停
川右岸(南側)の最寄バス停矢田までは川沿いに歩いて山陰本線の踏切を渡って徒歩2分程度。 この渡船、山陰本線の車窓からも良く見え、いつでも乗れそうな感覚でいました。まさか1300年の歴史が今にも途絶えそうな 状態に陥っているとは・・・ 伝統ある水運、本当に幻となる前に乗ってみませんか。
(松江市営バス)矢田の渡し・・・(左岸)16:05−【矢田渡船 約1分40円】→16:06(右岸)・・・徒歩2分・・・(日ノ丸バス)矢田
  2013年1月の情報


9桜島〜天保山(大阪市営天保山渡船)
ビルとベル

水の都大阪には、市が運営する渡船が8つもあります。
大阪市渡船場マップ(大阪市HP)

その中でも景観や利便性の点から大阪の達人に強く薦められたのが、 桜島と天保山(てんぽうざん)を結ぶ天保山渡船、両岸とも駅から500m程度で、無料。今回はJR桜島線の終点、桜島駅から 出発です。駅からは少し迂回しますが随所に案内板もあるので迷うこともないでしょう。10分足らずで桜島側待合室に 到着しました。待合室の中の時刻表によると、この時間帯、船は20〜30分間隔で運航しているようです。その他、 持ち込むことができるものなど、注意事項、お知らせが掲示されています。(詳細は下の室内の写真をクリックしてください。) 壁には一匹の愛らしいウマオイが休んでいました。実にのどかな秋の朝です。
地図
桜島側待合室 室内には案内がぎっしり 待合室に愛らしいウマオイの姿も
対岸から船がやってきました。中から大勢の外国人が自転車を押して次々に下船してゆく不思議な光景。見たところ国籍もさまざま、 どうやらすぐ近くのUSJという遊園地の従業員の方々が通勤で利用しているようです。続いて私たちが乗り込みます。 船内には座席はありません。短距離でほとんどが自転車客だという事情もあるのでしょう。安治川の河口にあたるこの一帯は船の揺れも 大きく、手すりをしっかりつかむ必要があります。 頭上に広がる高いビル群、観覧車、高速道路の斜張橋。全国数多い公共渡船の中でも、ここでしか味わえない光景です。
続々と下船する外国人の皆さん 景観も雄大 座席はなく、手すりにつかまる
わずか3分ほどで天保山側に到着しました。次の便は30分後、船員はあっと言う間に事務所に姿を消しました。 このすぐ近くに公園があり、その中に「日本一低い山」と自称する天保山があります。標高はわずか4mあまり。 地下鉄大阪港駅まではこれまた自称「登山道」を下って約500mです。この小さな船旅、達人の推薦にも心から納得。 まだまだ知らない大阪がありそうです。
天保山側に到着 天保山側に事務所あり 日本一低い山

桜島9:00−【大阪市営天保山渡船3分無料】→9:03天保山
  2012年11月の情報


8石田〜西中野(西中野渡船)
木曽川最後の渡船

かつて木曽川には多くの渡船がありました。しかし相次ぐ架橋により、2011年3月にも2つの航路が廃止され、 残るはこの西中野渡船だけとなりました。
今回は岐阜県から乗船してみます。船着場は羽島市の石田地区にありますが、羽島市コミュニティバス石田バス停には 特に案内もなく、あらかじめ調べた地図に従って歩きます。堤防の手前で太い道は左手に曲がりますが、 そのまま直進し堤防の階段を登ると、下方左手に木々の中を川の方向へと進む未舗装の道があるのが確認できます。 少し分かりにくいのですが、迷うこともないでしょう。バス停から15分程度、船着場に到着しました。
地図
石田バス停 堤防で途切れる道 橋を見上げる戸畑港
船頭は愛知県側に常駐しているので、利用のときは「県」と書かれた白旗を掲揚して、対岸に知らせます。 年中無休(運航時間は8:30〜11:30 12:30〜14:30 15:30〜16:30で、日没が16:30より 前なら日没まで。)ですが、増水、強風で欠航の場合もあり、その時は対岸に赤い旗が掲げられるそうです。 気づいてくれるまで気長に待ちましょう。あいにくの雨ですが、待合室もありません。大木の下で雨宿り・・・
数分経つと、対岸の小船に動きが見られました。下流に向かっているようですが、やがて進路をこちらに変え、 その姿はしだいに大きくなります。第五中野丸、豪華にもお二人でお出迎えです。
八福 橋を見上げる戸畑港 橋を見上げる戸畑港
寂しい岐阜県側の岸をゆっくり離れます。船上で簡単なアンケートに記入します。どこから来たかという問いに、 都道府県名を書くと、そこから来た人は今までに一人しかいないと言います。両県以外ではあまり知られていない渡船の ようですが、春や秋の天気のよい日には観光客を含めかなりの利用があるようです。養老の山々もよく見え、 木曽川の上を流れる風も心地よいものです。何より無料というのが素晴らしい。あっという間に県境を越える5分間の船旅でした。
八福 橋を見上げる戸畑港 西中野バス停

愛知県側は乗り場のすぐそばに西中野バス停がありますが、一宮駅行きバスは2時間に1本ほどで、6分前に出たばかり。 少し離れた場所を通る稲沢市のバスも日曜運休。仕方なく、最寄の名鉄の萩原駅まで5kmほど歩きました。この渡船、 船頭の常駐する愛知県側から乗るほうがはるかに都合がよいようです。
震災の影響もあり付近の架橋の計画は遅れ、当分廃止の予定はないようです。年々姿を消す内陸航路、現役のうちに ぜひ乗船してみてください。
石田(岐阜県羽島市)12:38−【愛知県営西中野渡船5分無料】→12:43西中野(愛知県一宮市)
  2012年9月の情報


7戸畑〜若松(若戸渡船)
橋の下の航路

鹿児島本線戸畑駅からまっすぐ北に伸びる、若戸渡船への幅の広い連絡道。 老舗のとんこつラーメン屋もあり、以前はもっと人通りが多かったことをうかがわせます。駅から5分ほど歩くと、 海が見え、見上げればはるか高い場所に真っ赤な若戸大橋がかかっています。その下に北九州の洞海湾で古くから活躍する若戸渡船の 乗り場と、戸畑バスセンターがあります。
八福 橋を見上げる戸畑港
若戸渡船の待合室の中には、きっぷの自動販売機に、小さな水槽、簡単な改札口、そして北九州市渡船事業所があります。 朝は5:55から、夜は22:25まで、日中は約15分間隔で運行する働き者、地元民に永く愛される大切な足です。船が出る時刻になると、 職員の声と出発の合図が響き渡ります。 対岸の若松までの所要時間はわずか4分、運賃は100円。なお1985年の時刻表を見てみると、当時はわずか20円でした。
戸畑港待合室 運賃表示 先代の第十七わかと丸
100年以上の歴史を刻む当航路ですが、50年前に頭上の若戸大橋が開通し、廃止の危機に直面しました。 さらに2012年秋、海底トンネルが完成、現在でも経営の苦しい若戸渡船は、さらに危機的状況に陥ります。
船は橋を見上げながらあっという間に若松港に到着。筑豊本線始発の若松駅までは徒歩約10分の距離です。 鉄道愛好家の皆さんも、この航路を利用して、旅に変化を加えてはいかがでしょうか。地元の足の応援にもなります。
戸畑港−【北九州市営若戸渡船4分100円】→若松港
  2010年3月の情報


6徳山〜竹田津・・・伊美〜姫島(スオーナダフェリーなど)
夜の待合室

今回は夜の船の活躍をご紹介します。
ある3月の夜、最終列車で徳山駅に着き、寂しく寒い夜の町を港に向けて10分ほど歩いて、 九州の国東半島へ渡るスオーナダフェリーの乗り場に到着しました。待合室は閑散、ただベンチで横たわる先客が一人のみ。 自動販売機のかすかな機械音だけが響く静かな部屋、温かい飲み物を体に注げば適度な眠気に誘われます。
徳山港待合室 ガラガラの船内 竹田津に到着
深夜2:00発の便、客は数台のトラックだけ。広い船室には他に人の姿はありません。夜なので周防灘の美しい島々は見られませんが、 スオーナダフェリーが提供してくれるこの贅沢な時間と空間を存分に満喫します。たった2時間の仮眠です。 至福の時は一瞬の夢のように過ぎ、船はほぼ定刻の4:00に国東半島の竹田津に到着しました。

竹田津港待合室
徳山港よりさらに小さな竹田津港の待合室。客は誰もいません。 しかし「次は4:30」と書かれた切符売り場の方はしっかりと席に座って正面を見ています。ただ一人の客である 可能性のある待合室内の人物がその便には乗らないので、ちょっと気が引けますが、ストーブを囲むこの部屋で 1時間ほど小休止をさせてもらいます。うれしいことにその後2人の客がやってきて4:30の徳山行き早朝便に乗り込んで 行きました。再び一人になった小部屋には、ゲーム機のアニメソングが繰り返しむなしく流れています。
実は、これから約5km東の伊美港まで夜の道を歩き、姫島村営フェリーの始発便で国東半島沖に浮かぶ小さな島、姫島に わたる予定なのです。
時間は無情、5:00をすぎました。そろそろ待合室出発の時刻です。
早朝の竹田津の港には漁師の声が小さく響いていますが、数隻の漁船の灯りだけで、人の姿は見えません。 車の通行もない国道213号線を東へ。 早春の九州の夜明けは遅く、まさに「闇夜」。民家も外灯もほとんどなく、細い三日月の光をたよりに車道を歩きます。 この日の大分の朝の気温は1℃、口笛で「真夜中のギター」を奏でれば、暗闇に白い息が浮かびます。 しばらくして国見トンネルです。内部は灯りがあり、冷たい風も吹かず、ありがたい。
その後旧役場や郵便局を過ぎて、ようやく空が白んできた6:00頃、伊美港に到着しました。
伊美港 入船 姫島到着
6:20発の始発便、姫島丸は朝日を浴びながら、わずか20分で姫島に到着です。早朝出勤の人々と一緒に、タラップを降ります。 新聞配達をする子供たちが元気に「おはようございます」。こちらも元気に声を返します。周防灘の長い夜が明けました。

終電で徳山に着いたはずなのに、早朝には国東半島の小さな島に・・・ こんな西村京太郎も驚くような芸当が出来るのも、 深夜、早朝に懸命に働く船会社の皆さんのおかげなのです。
徳山港2:00−【スオーナダフェリー2300円】→4:00竹田津港・・・(徒歩1時間)・・・伊美港6:20− 【姫島村営フェリー550円】→6:40姫島港
  2007年3月の情報


5土生〜弓削(弓削汽船)
中国四国10分旅
地図
尾道駅よりバスに乗り、因島南部の土生港へやってきました。ここから弓削島へ渡る便は2社あります。 芸予汽船の快速便は土生港バス停前の中央桟橋から出航しますが、今回乗る弓削汽船のフェリーは 300m南の因島病院近くの小さな長崎桟橋から出航します。
参考までに、発着地の土生と弓削は、それぞれ「はぶ」「ゆげ」と読みます。正しく読めないと切符を買うときに困りそうですが、 弓削汽船の切符は乗船後に買えます。
土生港バス停 船より 小さな客室
乗船した船は第五青丸。残念ながら車輌運搬に重点を置いているため、船内の客室は写真のような驚くほどの狭い空間。 わずかな乗客はここで世間話をします。混雑すると部屋に入りきれないという話も。ただ、県境の瀬戸をゆく船から眺める景色は よく、乗船時間も10分あまりなので、大きな問題にならないのでしょう。
因島と生名島の間の瀬戸は幅が300m足らずですが、ここを広島県と愛媛県の県境が通っていて、しばらくはこの県境上を 航行します。 やがて立派な弓削大橋と、弓削島の象徴である石灰山が視界に入り、あっと言う間に下弓削桟橋に到着。 桟橋には小さな待合室の他、町営バスのバス停やポストなどがありました。
弓削港入港 第五音丸 桟橋周辺
弓削島は愛媛県上島町に属しています。上島町役場のある中心集落付近でくびれており、この平らな土地に木造の家屋が密集しています。 その茶色の道を400mほど歩くと東海岸に出ました。あいにくの雨ですが、その穏やかな情景に心が安らぎます。
弓削島の街並み 東海岸 ホワイトドルフィン
帰路は尾道と弓削を直接結ぶ瀬戸内クルージングの高速船ホワイトドルフィンを利用しましたが、残念ながらこの航路は2012年5月末に 廃止となりました。これを機にかつて乗船した弓削の航路を思い出し、この記事を書きました。 近年瀬戸内海の航路は、高速道路優遇、燃料費増大、相次ぐ架橋などが原因で次々に消えているのです。
土生港前・・・土生(長崎桟橋)15:20−【弓削汽船240円】→15:33弓削
  2008年12月の情報


4釜山〜厳原(大亜海運)
日帰り日本旅行

島国日本、鉄道やバスと違って、船にはいくつかの国際航路があり、独特の楽しみがあります。 対馬と韓国釜山と結ぶ航路は、高速船でわずか2時間。往復して「日帰り海外旅行」もでき、 実際に韓国側から大亜海運のドリームフラワー号で、日本を日帰り旅行してみました。 乗船当時の2009年においては、同航路はこの韓国の大亜海運1社のみで、予約には少し苦労をしました。 うれしいことに2012年現在はJR九州など3社が運行、便利になりました。

釜山の国際航路のターミナルは、地下鉄中央洞駅から歩くこと5分あまり、ここから下関や博多など日本各地へ船が運航されて います。釜山は古くからの港町で、アジア有数の漁港ですが、軍港という側面もあります。施設内では写真撮影も一部制限されています。
釜山の国際航路のターミナル ターミナル1階の各船会社のカウンター 乗船券
国際航路なので出国手続きなどに時間が必要です。ターミナル1階には各船会社のカウンターが並んでいます。 出発は9時40分ですが8時30分から窓口が開き受付開始。この日一番乗りなのに、対馬が見える右の窓側座席は 全て予約済み。しかしこちらの熱意を感じたのか、予備として確保していたらしいA1席を提供してくれました。 右側の最前席です。
出国ゲートは2階。旅券や荷物の検査が終わると、船乗り場まで5分程度歩きました。予定より少し早めに出航することが あるので、早めに行動しましょう。原則として乗船手続きも出航の30分前までです。
高速船前景 高速船側面 船内
噂には聞いていましたが、乗客のほとんどが韓国人。しかし乗員はもちろん、乗客にも日本語を話せる人がいて、 言葉の不安は感じません。約8割の席が埋まり、ほぼ定刻に出航しました。 国境が近く、30分もすると日本の領海に入ります。この日は薄曇で釜山から対馬は見えませんでしたが、 出航から1時間経たないうちに対馬の島影が浮かんできました。
対馬が見えてきました 小島も見えます 対馬港入港 フェリーつばさの姿も
さて、島の北部はまさに緑の島。観光ホテルらしき建物が一つ見えた以外は、海岸沿いには人家すらほとんど 確認されない自然豊かな大地です。途中黒島という島がありますが、この左手の入り江が奥まで続き、ここで 島は運河によって大きく南北に分断されています。
リアス式の海岸線を眺めながら約1時間。船は急に右に梶をとり、厳原港へ。港には先客として博多と対馬を結ぶ大きな貨物船がいました。 小さな港ですが対馬最大の国際港、厳原の青い海や豊かな緑は心安らぐ情景です。いよいよ対馬に上陸です。
外国人の日本入国審査は指紋採取や写真撮影などに時間がかかり、日本人と分けられていないため先へ進めません。 結局30分もかかりました。ぜひ早めに下船しましょう。日本人が日帰りで対馬を訪れるのはやはり珍しいようです。 3時間観光する予定でしたが、出国審査時も最低30分前までには戻らなければならないので、 実質2時間しか滞在できません。それでも対馬藩主であった宗家の 菩提寺である万松院など、厳原の美しい町並みを駆け足で観光しました。
船のきっぷ 対馬港付近の亀岩
さて、「釜山港へ帰れ」ということで、復路もわずか2時間で夕方の釜山に到着、引き続き夜の釜山の町を楽しみます。 あっという間の日帰り日本旅行、貴重な体験でした。

釜山港9:40−【大亜海運ドリームフラワー号(※)】→11:55厳原港
厳原港15:00(-10)−【大亜海運ドリームフラワー号(※)】→17:00釜山港   2009年5月の情報
※2009年5月運賃 釜山⇔厳原 往復130000ウォン(約10500円)
他、釜山港でターミナル利用料など8200ウォン(約700円)、厳原港で油燃料油加算600円が必要でした。


3八丈島〜青ヶ島(伊豆諸島開発<還住丸>)
日本一欠航率の高い?青ヶ島航路

約半分は欠航という恐るべき航路が東京都にあります。といっても、東京から南に約350km、日本一人口の少ない青ヶ島村への航路です。
東京を夜に出発し八丈島に朝到着する東海汽船、通常八丈島東側の底土港に到着します。一方青ヶ島への船は西側の八重根漁港から出航します。 (2012年4月現在 9:20到着、10:15発)青ヶ島行きが運航するかどうかは当日電話で確認できますので、事前に確認しておきましょう。 船の到着が遅れるとその日の乗継はできません。通常はタクシーで両港の間を移動しますが、 運が良ければ、八丈町営バスを乗り継いで西側に移動できます。(その実施例が以下にあります。この便の場合、底土港の最寄は 1.5km西の護神バス停で、八重根漁港の最寄は港から1kmあまり離れた歴史民族資料館前バス停です。いずれも駆け足になります。)
周辺地図
(八重根漁港地図 クリックで拡大)
歴史民族資料館前バス停 八重根漁港に停泊する還住丸
小走りで到着した八重根漁港には漁船のような小さな船が停泊していました、その目の前のやはり小さなコンテナの中で 乗船手続きをします。受け取ったのは青ヶ島の航空写真がデザインされたきっぷでした。「もう出航するから」と言われて急いで船内へ。 客は私ひとりでした。
船内に飲食のための自動販売機はありませんが問題ありません。とても飲食する気にはならないからです。 小さな船のため大きく揺れます。船内には船酔い用のビニール袋と洗面器がずらっと並んでいます。情報を得ていたので、 あらかじめ薬を飲んですぐ寝ました。途中かなり揺れましたが、2時間あまりの意識はほとんどありません。

さて、この船の名は還住丸(かんじゅうまる)、この「還住」とは島への帰還を意味しています。青ヶ島には悲しい火山災害の歴史が ありますが、これは別の場所でご案内しているとおりです。
気がついて部屋から上階に出て外を見ると、いかにも火山島らしい赤と緑の青ヶ島が見えていました。この風景は実に 見ごたえがあります。
船のきっぷ 船内 青ヶ島が見えてきた
小さな三宝港に到着すると、乗組員の手を借りて慎重に船から桟橋に飛び移ります。物資輸送も担う還住丸に、待ち構えていた村の人々が 次々に近寄り、協力して荷物を運搬しています。港から集落まではかなりの距離があります。宿の送迎車で集落に向かいました。 青ヶ島はカルデラ式の火山島で、車窓に驚きます。
青ヶ島港到着 三宝港 島はカルデラ
港の様子は島のテレビで24時間生放送され、朝7時には村内放送で本日の運航の可否の「お告げ」があります。 翌日の帰りの便は祈りむなしく欠航しました。天気はよかったのですが、少し風が強めだということです。 やむなく帰路は八丈島まで運賃1万円を超すヘリコプターにしました。定員9人なのですぐ満員になります。 こちらもぜひ早めに予約を。
なお、その後の還住丸、私が乗った日を最後に、5日間連続で欠航したそうです。 さすが日本一欠航が多いと言われる航路、その魅力は簡単には味わえないようです。
(参考)「青ヶ島ブログ」・・・かつて島に暮らした方が 滞在中の船の運航などを記した島の貴重な資料です。

9:30(-30)八丈島(底土)・・・尾端9:41−【八丈町営バス180円】→9:49歴史民族資料館前・・・八丈島(八重根)10:30(-10)− 【還住丸2690円】→13:00青ヶ島(三宝)
  2007年10月の情報(現在は時刻が少し変更されています。)


2函館〜大間(津軽海峡フェリー)
津軽海峡最短航路

北海道と本州を結ぶ航路でも最も短いのが、この津軽海峡フェリーの大間航路。下北半島縦断の旅行者にはありがたい航路です。 また大間付近の方々にとっては、函館への通院や買い物で欠かせない生活航路です。廃止の声も聞こえるようになりましたが、 現在のところは新造船も決定しなんとか存続しています。最悪の事態にならないように「応援乗船」をしてみました。
函館帝産バス 函館フェリーターミナル ナッチャン
函館フェリーターミナルは七重浜駅や五稜郭駅からも歩けますが、函館駅から函館帝産バスのシャトルバスで向かいました。 久しぶりに訪れたフェリーターミナルは立派な建物に生まれ変わっていて、年末ということもありクリスマスツリーが 飾られていました。大間行きの客も意外に多いようです。
港にはナッチャンworldという、日本最大級のフェリーが停泊していました。不採算のため現在は運航されていませんが、 高性能であるため同型船は自衛隊の訓練などで利用されたようです。

目を転じると少し貧相に見える白い船がありました。 全長83.44m、総トン数1529トン、旅客定員数470名。1時間40分で下北半島の大間とを結びます。 船体には「ばあゆ」とあります。インド神話の風の神であるヴァーユから名づけたとのこと。 悪天候も多い津軽海峡ですが、風雨に強く、比較的欠航の少ない自慢の航路です。
ばあゆ 船内 裏函館山
出航後しばらく左手に函館山を見ることができます。しかも山の周囲をなめるように航路が設定されているので、 市街からとは全く違った山の表情を眺められ、冬の立待岬も手にとるように見えます。

寒かったデッキから暖かい船内に戻ると、やがて睡魔に襲われます。船が海峡の荒波と格闘している様子はほとんど記憶にありません。 気がつけばまもなく大間港入港。さすが最短航路、陸の孤島と呼ばれる大間もあっという間です。 函館と対照的な寂しい港に平屋の待合室。しかしリュックを背負った外国人の方の姿もあり、主要航路であることが うかがえます。港の最寄りのバス停は根田内(ねたない)、港から歩いて数分です。数人の客がバスに乗り換えて むつ市方面に向かうようです。 大間はまぐろで有名。待ち時間があれば、ぜひ本場のまぐろを。本州最北端のまぐろ丼は絶品でした。
大間港 下船場面 大間港待合室

函館港9:30−【津軽海峡フェリー2200円】→11:00大間港   2009年12月の情報


1福江〜小値賀〜佐世保(野母商船・九州商船)
涙にぬれる晴れの桟橋

春3月、桜咲く五島。福江港を博多へ向けて出港するフェリー「太古」。隣の座敷には一人の黒服をまとったシスター。 岸壁ではそれを見送るやはり多くの黒い姿。クリスチャンの多い五島ならではの風景です。
福江→小値賀 フェリー太古 修道女の見送り
福江出港 きれいな船内 ステンドグラスも
船内にもステンドグラスがありました。船は新しく、畳席もあり、電子レンジなどの設備も充実しています。 進行方向左手には久賀島、奈留島と常に島並みが続き、 続いて若松島と中通島の間の細い瀬戸を縫って、わずか300mほどしかない若松大橋の下をくぐります。 この付近は隆起したのか海岸線が岩畳のようになっていて、そのすれすれに本来海水を嫌う桜も散見されます。 途中上五島町の青方港にも寄港します。この航路は常に島影が見え、飽きません。

福江から3時間、少し遅れて目的の小値賀港に到着しました。わずかな乗り継ぎ時間で島を散策します・・・
海桜 若松大橋 小値賀島の風景
小値賀島の人口は約2700人、なぜか港には信じられないほど多くの人がいましたが、逆に街中は閑散。春の海は 離島らしく青く輝き透き通っています。「ようこそ小値賀町へ」の青い看板をくぐれば緩い上り坂、小さな商店街が 続き、まもなく島唯一の信号機が見えます。その上方には桜咲く神社があり、右折すれば町役場。 元々は2つの島でしたが、中間部の浅い海を干拓して一つの島にした経緯があるそうです。

急いで引き返し、来た坂を下ります。小値賀と佐世保を結ぶ船が減便され非常に不便になり、 次の船を逃すとこの島で宿泊しなくてはならないのです。
もう一度にぎわう港を見渡して、子供の多さ、横断幕の書き込み内容からようやく事態を飲み込むことができました。 今日は今年度最後の日曜日、長年住み慣れた島をあとにする人が何人かいるようなのです。九州本土から赴任していた 学校の先生、この島で生まれ今日限りでこの島を去る新入社員。事情は多種多様ですが、見送る人の声の大きさ、 見送られる人の涙の多さ、そして幾重にも乱れ飛ぶ紙テープ・・・ どれをとってもこの島の生活が素晴らしかったという ことを教えてくれます。
別れテープ 海に飛び込む人々 島を見送る乗客
さあ出航の時間です。船が桟橋を離れると見送りの人々は次々に海に飛び込み、船の人は号泣し島の姿が見えなくなるまで 大きく手を振っています。今日で小値賀を去った人々も、島の温かさに誘われていずれまた戻ってくることでしょう。

福江港10:40−【野母商船フェリー太古3110円】→13:30小値賀港14:00−【九州商船フェリーなるしお2730円】→16:35佐世保港   2010年3月の情報