丘を越えて行こうよ
北海道美瑛町は雄大な丘が続く風景で有名です。町にはスクールバスがあり、便数は少ないのですが
ありがたいことに一般客も無料で利用できます。本来なら各路線10人前後の子供たちが登下校に利用するそうですが、ラベンダーが
楽しめる7月末などは学校が休みのため、各路線週2日のみに減便され運行しています。
今回は美馬牛駅から美瑛駅まで月・木運行のルベ・新栄線に乗車してみました。
美馬牛中学校の裏手にはこの時期ラベンダー畑が広がっているのですが、残念ながらバスからは見えません。
美馬牛第一バス停で右折して国道と別れ小さな道をしばらく進むと、中の沢バス停付近の西側の丘に、
その形から「クリスマスツリーの木」と呼ばれる1本の高い木が見えます。他に客がいないこともあり、特別に木を背景にバスの
写真を撮らせてもらいました。(ありがとうございました。)
新栄、旭東を過ぎ、交通安全のお地蔵さんがある地蔵前バス停を通過すると、少しだけ国道を美馬牛方面に戻り、
続いてルベシベ地区に入ります。
晴れていれば東側には十勝岳なども望めるのですが、残念ながらこの日は薄い雲がかかっていました。それでも野菜畑の緑色と、
収穫最中の麦畑の茶色が、四方の丘に縁取られていて目を楽しませてくれます。
バスは坂を上ったり下ったり、このあたりは冬期は雪深く相当冷え込むとのこと。
通学生にとってこのスクールバスがいかに大切な存在であるかが分かります。
なお学校期間中の登校時には車内で日本の昔話の英文放送を流しているようです。時代は変わりました。
美馬牛から約30分、ようやくおしゃれな美瑛の中心街に入り、小さなスクールバスは美瑛駅前に滑り込みました。
美瑛町のスクールバスは2015年現在10路線ありますが、拓真館を経由する美馬牛線や水沢線、
マイルドセブンの丘を望める美田五稜線の沿線風景などが、いかにも美瑛らしく魅力的です。
美馬牛駅15:52−【美瑛スクールバス 無料】→16:20美瑛駅
(夏休みの特別時刻)
2015年7月の情報
ケチ願
四国の旅では笠をかぶり杖を持つ多くの人々を見かけます。
艱難辛苦に耐えて1番札所霊山寺(りょうぜんじ)から88番札所大窪寺(おおくぼじ)まで四国88ヶ所の寺を巡るお遍路(へんろ)さんです。
この苦行の末に願いをかなえることを結願(けちがん)と言います。
しかし一般人には苦行に耐える気力も金も時間もありません。
そこで1番札所から途中の札所を経由せずに88番札所へ路線バスで移動するという「にわか遍路」を考えました。
(1番札所:霊山寺)
徳島県鳴門市。JR高徳線板東駅から徒歩約10分、または徳島や鳴門からの路線バスで霊山寺前下車すぐ。
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徳島駅から大麻神社行きのバスに乗り、終点に近い霊山寺前バス停に降り、さっそく参拝。
1番札所とあって、長旅に向けた用具と心の準備をする多くの人でにぎわっています。こちらも88番札所に向かって出発です。
高速バスを使えば比較的楽に行けるのですが、路線バスは海沿いの路線しかつながっていません。
寺の正門前を折り返しの徳島行きバスが通過して行きましたが、後続の鳴門駅行きのバスに乗り込みました。この鳴門大麻線は並行する鉄道に沿って
運行されている路線で、立道、教会前、金比羅前と、鉄道駅と同名のバス停を通過していきます。途中池谷駅近くでは行き違いが大変な細い旧道を進む
区間があるのですが、なぜか多くの一般客が利用していました。30分ほどで鳴門駅前に到着です。
続いて香川県の引田に向かう引田線翼山温泉行きに乗車です。海沿いに二つの県を結ぶ貴重な路線であり、
2013年3月の鳴門市営バス撤退後は徳島バスが代わりに運行しています。(現在では徳島・香川両県にまたがる唯一の路線です。)
鳴門の市街地を抜け櫛木峠を越えると、櫛木浜バス停から先はほぼ全区間で播磨灘を臨むことができます。
北灘県境バス停を通過するといよいよ香川県。バスは途中の乗降客もほとんどなく快調に飛ばしましたが、引田には
1分あまり遅れて到着。
実は徳島バスの引田到着と同時刻に引田を出発する大川バスがありましたが、バス停も少し離れていて両社は接続をとっていませんでした。
やむなく次の便を利用することに。
引田駅近くのスーパーマルナカ(香川県などでは有名なチェーン店です)で買い物をし、駅前の車庫で出発待ちをしている大川バスの車内で
軽い昼食にしました。しばらく鉄道沿いの国道11号を走りますが、丹生(にぶ)から先は内陸ののどかな田園風景と里の集落が広がる
県道10号と長尾街道を進みます。
大川バスの社名の由来である旧大川町を抜け、さぬき市民病院に立ち寄れば、やがて大川バス本社前に到着です。
引田からここまでの運賃は920円。なおこのまま終点の高松まで乗ってもたった1000円という特殊な運賃体系のため、少し損をした気分になります。
大川バス本社は琴電長尾駅に近いだけでなく、87番札所長尾寺も徒歩圏内なので、時間に余裕があれば参拝もできます。
最後の走者はさぬき市コミュニティバス志度多和線中山行き。バスは本社の敷地内に停車していました。
小さな車体は19人分の座席しかなく満席に近い状態です。この路線は特に午後の復路において徒歩巡礼を終えたお遍路さんが利用するので
混雑するそうです。休日にはハイキング客も加わるので最盛期には8人の立ち客がいた時も。長距離にもかかわらず200円という運賃でしたが、
休日の運賃についてはやむなく500円にしたそうです。
多和地区で数人が下車すると、バスは緑に囲まれた坂を駆け上がります。トンネルをくぐればいよいよ大窪寺に到着。
残りの客は全員がここで下車しました。客がいなくなった小さなバスはさらに終点中山へと向かい姿を消します。
(88番札所:大窪寺)
香川県さぬき市。さぬき市コミュニティバス大窪寺下車すぐ。
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さすが88番札所、石段を登ると、浸食の進んだ瀬戸内では珍しい花崗岩の山が寺の背後にそびえ、霊験あらたかな雰囲気を醸し出しています。
多くのお遍路さんが結願を達成し、清々しい表情をしています。
一方で今回のような信心浅い節約ずくめのバス遍路で得られるものは結願でなく「ケチ願」かもしれません…
(参考)高速バスの乗降自由区間を利用すると、両寺は比較的簡単に移動できます。
大窪寺行きで乗ったさぬき市コミュニティバス志度多和線は高速志度バス停を通ります。
また霊山寺は高速鳴門西バス停から徒歩15分ほどです。実際に無事に遍路を終えた人が、
「お礼参り」と称して再び1番札所に戻る時に、この交通手段を用いるそうです。
霊山寺前8:29−【徳島バス330円】→9:00鳴門駅9:40−【徳島バス640円】→10:20引田11:35−【大川バス920円】
(三本松で11:50/11:55乗継)→12:25大川バス本社前13:34−【さぬき市200円】→14:05大窪寺
(上記は実施例です。実際は2日にわたり乗車しました。)
2015年5月の情報
ベンガラとボンネットバス
前回の秋月に続き、終点に見ごたえのある路線をご紹介。岡山県高梁市の吹屋(ふきや)はかつて銅山で栄え、赤銅色の石州瓦と
ベンガラ色の豪邸が続く色鮮やかな街並みで有名です。さらにすがすがしい観光シーズンには、ボンネットバスがこの街の中を巡回し、
一昔前の日本にいざなってくれるというのです。
同時に期間中は高梁バスセンターから吹屋までボンネットバスによる直行運転が朝1本だけ実施されています。
(2014年のボンネットバス運行は、4〜6月、9〜11月の土・日・祝の予定)
高梁バスセンターで待っていると、6番乗り場に小さなボンネットバスが滑り込んできました。
外見はきれいに塗装されていて、田舎のバスで歌われた「オンボロ」「ポンコツ」といった当初の予想は見事に打ち破られました。
ただ乗車してみると、木製の床に古めかしい座席。冷暖房はなく、全ての窓が少し開いています。なぜ真夏や真冬に運行しない
のか理解できました。加速などエンジン性能は現代のものと比べてもあまり遜色なく、途中までバイパスを経由する直行便なので、
所要時間も一般路線バスとほぼ同じです。青空に映える緑の中を高梁川に沿って快調に飛ばします。窓からすがすがしい風が
入り込んで、うちわは不要になりました。実に快適な車内です。
このボンネットバスにはベテランの車掌さんがいて、親切、丁寧に旅の助言をしてくれます。
河戸で左折し高梁川を離れて県道85号線に入ると、まもなく道が狭くなり対向車との行き違いのために頻繁に停車するように
なります。一方で沿道にはベンガラ色の家並みが目に入ります。特に宇治にある元仲田邸は立派です。わずか1時間足らずで
いよいよ終点に近づいてきました。ボンネットバスの前後左右の車窓がすっかり赤く染まったころ、終点の吹屋に到着です。
ボンネットバスはこのまま吹屋の巡回バスとして街中を駆け回ります。その姿を求めて吹屋にやってくる観光客も多いようです。
ボンネットバスが運行しない期間でも、一般の備北バスの車輌が吹屋の街並みを走ります。なおこの一般路線は途中
伯備線の備中川面駅なども経由するので鉄道との乗換でバスの乗車時間を短縮することも可能ですが、800円上限制度が導入
されているので、運賃はほとんど変わりません。
今回帰路は幡見バス停で下車、吉備中央町のリハビリセンターを経由して中鉄バスで岡山に戻りました。
高梁バスセンター9:48−【備北バス800円】→10:41吹屋12:48−【備北バス800円】→13:37幡見
2014年9月の情報
雨の秋月 甘木観光
福岡県中部の朝倉市、旧甘木市地区における西鉄バスの大規模な路線撤退を受けて、2001年に誕生した小さなバス会社があります。
甘木観光バスです。当初は多くの路線を運行してきましたが経営は苦しく、予約制タクシーなどへの転換を進めてきました。現在
定時運行の路線は甘木と田主丸や秋月などを結ぶ4つのみ。その中でも秋月線は甘木と秋月を結ぶ観光路線であり、1時間に1本程度
確保されています。この小さなバスに乗って秋月を訪れてみました。
秋月は約800年の歴史を持つ旧城下町。筑前の小京都とも呼ばれます。この日はあいにくの雨でしたが、小京都には雨が似合います。
甘鉄甘木駅前を出発したバスは、西鉄甘木駅、甘木中央・・・と、甘木の中心街をコの字型にまわります。 バス停に傘さす人影は
見えますが、この秋月線に乗り込んだ客は他にたった一人でした。
途中の持丸まで運賃は100円均一。ここからは市街地をはなれ、左手に小石原川を見ながら、国道322号線を進みます。
長谷山で小石原川を渡り、右手に眼鏡橋が見えれば、いよいよ城下町秋月に入ります。
この石橋は長崎から石工を招き、1810年に竣工したものだとか。福岡県の有形文化財に指定されています。往路はここで下車しました。
雨に煙る秋月には、甘木観光の薄い紫の車体がよく映えます。
バスは木造の家並と白い蔵を両手に見ながらを小さな通りを抜けていきます。秋月バス停の待合所もその一角にあり、誰もいない木製の
ベンチで雨宿りをしていると、目の前の軒先から間断なく滴る雨粒の向こうを観光客とおぼしきいくつかの傘が通り過ぎていきました。
秋月城など旧跡を訪れるのには次の郷土館前バス停が便利です。ここからさらに300mほど坂を上ると、終点の野鳥(のとり)バス停に
到着します。その名の通り、折り返し場では雨音に混じって小鳥のさえずりが聞こえてきます。
(夏季はこの先の、「だんごあん」まで行く便もあります。)
残念ながら雨は強まる一方で、1時間あまりで秋月をあとにしました。
この秋月では秋の紅葉はもちろん、桜並木も楽しめるそうで、多くの観光客でにぎわうそうです。
ぜひバスでそれぞれの時期の彩りを味わってみたいものです。
甘鉄甘木駅9:47−【甘木観光バス320円】→10:04眼鏡橋・・・(約300m)・・・秋月11:17−【甘木観光バス330円】→11:34西鉄甘木駅
2014年8月の情報
人影のない道
2014年9月末での大規模な路線廃止が協議されていた奈良交通。なんとか小規模な系統廃止にとどまったものの、
不採算の山間路線はますます乗車が難しくなります。その中から国道169号線沿いに下北山村の池原へと進む路線をご紹介。
(古い乗車記ですがご容赦を。)
近鉄の大和上市駅より川上村の湯盛温泉杉の湯までは、吉野川北側の国樔(くず)経由と南側の樫尾経由がありますが、都合により前者を
選択し国樔で下車し、ちょっとした用事を済ませました。奈良交通の田舎の主要バス停の看板は上の写真のように軒先にかかっているもの
も多く、今日のような雨の日はそのひさしの下で雨宿りしてバスを待つ理にかなった構造です。
次のバスは樫尾経由なので、上矢治まで引き返し、吉野川にかかる橋を歩いて渡って対岸の樫尾バス停へと移動しました。
ここから改めて湯盛温泉杉の湯行きのバスに乗るのです。さすがに3月の吉野、梅の花と山里のコントラストが素晴らしい。
乗り込んだバスには客はいません。結果的には最終目的地の池原まで、他に乗客を見かけることはありませんでした・・・
吉野川がはるか下方に見え山岳路線らしくなると、やがて終点の湯盛温泉杉の湯バス停に到着です。
次の池原行きバスまでは23分あります。ここは川上村役場に隣接していて、温泉はもちろん道の駅のような軽く食事できる場所もあり
時間つぶしに好都合です。
ここまでは比較的バスの本数があるのですが、ここから先は1日わずか2往復しか便がありません(2014年6月現在)。
いよいよ秘境に入ります。
10:54杉の湯バス停を、当然のようにたった一人の客を乗せたバスが発車、目的地池原まで1時間半以上・・・。
運転士さんに日ごろの利用状況をたずねると、「紅葉シーズン以外はいつもこんな感じですよ」と。
深い峡谷、美しい渓谷、長いトンネル、天空に浮かぶような山々を結ぶ長い橋、
車窓には偉大な自然と人工の芸術が続きます。しかし沿道に人影を見つけることはできません。
わさび谷を通過すると約2kmある分水嶺の新伯母峰トンネルを抜け、ここから先は熊野川水系となり、太平洋へと注ぎます。
その源流部分である北山川の清流が今度は目の高さで楽しめます。途中上北山村の中心部に近い場所でバスは道をそれ、
短い休憩をとります。中心部といっても、せせらぎの音以外何も聞こえない場所でした。
(上北山温泉の建物と橋が見えたので、河合バス停ではないかと推測します。)
上北山村は人口約600人で、日本で3番目に人口密度の低い自治体だそうです。
バスは再び南下、山と谷の車窓は最後まで変わることはありませんでした。池原ダムの堤を下ると、
ようやく下北山村の池原に到着です。古い建物に小さな待合室。「指差喚呼 今日も一日安全運転」の立て札。
池原はダムのふもとに広がる小さな集落で、近くに下北山温泉があります。のんびりバス旅の疲れを癒すことができました。
この区間は現在2往復ですが、9月末でさらに1往復に減便されることになりそうです。土砂崩れなどの災害も多く、運賃も高く、
利用客もほとんどいない状況を考えればやむを得ないのかもしれません。
公共交通利用者にとってこういう魅力ある山間の集落を訪問するのはますます難しくなりそうです。
大和上市駅8:36−【奈良交通】→9:09国樔9:30−【奈良交通】→9:40上矢治・・・(約200m)・・・樫尾10:15
−【奈良交通】→10:30湯盛温泉杉の湯10:54−【奈良交通】→12:20?池原
2006年3月の情報
38 | 桜島港〜東白浜〜黒神口〜桜島港(鹿児島市営・三州) |
桜島一周
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鹿児島の象徴である桜島、最近活発な噴火を繰り返していますが、鹿児島市営バスと三州自動車を乗り継いで一周することができます。
2月のあるよく晴れた午後、鹿児島港からフェリーで桜島港に渡り、ここから時計回りに乗車してみました。
桜島港のバスターミナルにはすでに10人ほどがいて、やってきた東白浜行きの市営バスに乗り込みました。バスの扉は前方
一ヶ所で、座席数が多いタイプです。
この路線の魅力は、ほとんどの区間で山側に桜島、海側に錦江湾と対岸の陸地を望めること。
海側の座席に陣取りましたが、反対の桜島の景色も気になり、走行中に何度も席を移動してしまいました。
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島の北側は溶岩流や噴石の影響が比較的少ないのか、大きめの集落が形成されています。桜島を一望できる長谷浜などのバス停で
次々に降りてゆきますが、乗ってくる客はほとんどありません。桜島支所を過ぎれば、ほどなく終点東白浜に到着です。
わずか2人になった乗客はここで黒神口行きの黄色いバスに乗り換えます。運転手は休憩のためかバス停横の小さな詰所に
入っていきました。
東白神から黒神口の間は極端に本数が少ないのですが、この区間の車窓は魅力的です。理由は現在活発に噴火しているのが
島の東側に位置する昭和火口であるため、噴火口から立ち上る噴煙が間近に見えるためです。また黒神中学校の手前では
山側に埋没鳥居が見えます。近すぎてすぐ一瞬なのでご注意を。さらに桜島北西側と異なり、近年の溶岩流の跡が生々しく荒涼と
しています。黒神地区を過ぎると家はほとんどなく、乗客も他に見当たらなくなりました。夕刻の桜島東側はすでに薄暗く、こんな
火山の下道をバスが走っているのが不思議にさえ感じます。「お客さん、どちらまで?」と運転手さん、「終点までお願いします。」
と私。
終点の黒神口で下車すると、足元が灰だらけ。100mほど前方の国道224号線沿いに桜島口バス停があります。乗換時間はたった4分
でしたが十分でした。すでにバスを待つ一人の先客の姿が。話によれば黒神地区の保育園にお勤めとのこと。今日は風向きの関係で
桜島南東側での降灰がひどかったため、園児は室内のみでのお遊戯になったそうです。活火山とともに暮らす苦労を教えていただきました。
(もともと完全な島だった桜島は、ちょうど100年前の1914年1月の噴火でこの桜島口バス停付近で大隅半島と陸続きとなりました。
この周辺では避難が遅れた人たちが対岸に渡ろうとして大混乱になったそうです。)
島南側の車窓からは特に桜島がよく見渡せ、右側山腹から勢いよく噴煙が上がっているのがわかります。
またこの地域は噴石や降灰の危険性が高いのか、道端にはコンクリート製の避難壕も見られます。
出発から1時間あまりで、元の桜島港に戻ってきました。
なお桜島フェリーは24時間運航なので、どれだけバスが遅れても安心です。
桜島港16:20−【鹿児島市営バス270円】→16:39東白浜16:42−【鹿児島市営バス350円】→17:07黒神口・・・(約100m)・・・
桜島口17:11−【三州自動車430円】→17:35桜島港
2014年2月の情報
37 | JA与那城支店前〜伊計共同売店前(うるま市営バス) |
バスで楽しむ海中道路
沖縄を訪問する機会が多いため、連続して沖縄県内のバスの紹介をおすすめすることになりますがご容赦を。
今回は冬の強風のため離島便が欠航、予定を変更し沖縄本島と海中道路で陸続きとなった島々をめぐることにしました。
那覇から沖縄バス52系統屋慶名(やけな)行きに乗車し1時間半、終点の2つ手前のJA与那城支店前で下車。目の前のJAおきなわの
敷地内から伊計島へのバスがちょうど2時間おきに出発しています。
バスはすぐ海中道路を走り出し、左に金武湾と平安座(へんな)島、右に浜比嘉島を臨みます。
この平安座島への約5kmの海中道路が開通する1974年までは、島民の足は軍用トラック、蒸気船そして徒歩でした。
周辺は浅瀬で車高の高いトラックなら通行でき、それを迂回する経路でポンポン船と呼ばれた船が運航されて
いました。さらに干潮時には5kmの浅瀬をすそを捲り上げて徒歩で移動していたというのですから驚きです。
それでも不便なため、島民は石を積み上げて埋め立てを試みていましたが、台風のたびに流され計画は失敗していました。
現在のような立派な海中道路ができ、そこをバスが通行する姿を見たら、当時の人はきっと喜ぶことでしょう。
しかし本日正午発の便では、定員26人のマイクロバスに乗客はたった5人・・・ そんなバスも2ヶ月に1度だけ座りきれないほど
活況になります。それは年金支給日。金融機関がほとんどない各島からおじぃ、おばぁがいっせいに本島に移動するそうです。
平安座島に上陸すると、このバスの運行をうるま市から委託されている平安座総合開発の社屋、2012年に付近の島の小中学校を
全て統廃合して誕生した彩橋小中学校を見て、島の目抜き通りを走ります。さらにこの便は浜比嘉大橋を渡り、沖縄らしい赤瓦の細い
路地を縫って浜比嘉島の3つの集落を巡回します。この島には多くの岩と、それらにまつわるアマミチューやシルミチューといった
神話があり、いわゆる「パワースポット」として人気があるそうです。バスは再び橋を渡って平安座島に戻ります。
平安座島の北東側のほとんどは石油備蓄基地のための埋立地で、島の墓地は南側に集約されました。島のお盆は盛大にとりおこなわれ、
この道端は宴会の人で埋め尽くされるそうです。本島に出た若者の提案で一度だけ新暦で実施されたものの、結局
旧暦に戻されて現在に至っています。左手に巨大な石油備蓄基地、右手に子供たちの書いた絵の描かれた長い防波堤を眺めていると、
まもなく小さな橋を渡り宮城島に入ります。
宮城島の最初の曲がり角で始発からの一人の乗客が降りました。この桃原(とうばる)地区の行きつけのパーマ屋に向かうそうです。
続いてバスが宮城島の東側にさしかかると、この路線では珍しい高台にある宮城集落に入ります。狭い路地はカーブも多く、
島の生活が垣間見えます。行事などで集落の道端での駐車がひどい時は、バスは裏道に迂回することもあるそうです。
この島では有害物質PCBの中間処理施設を建設する話があり、これに反対する看板がいくつも見られました。
青い海に囲まれた真っ赤な伊計大橋を渡れば、いよいよ最後の伊計島。伊計ビーチを左手に見れば、まもなく終点伊計共同売店前バス停
に到着です。たった5分の折り返し時間でしたが、周辺のきれいな海を堪能することができました。
12月の曇り空でもこれほどの鮮やかな光景を楽しませてくれる路線ですから、夏はさらに素晴らしいのでしょう。
なおご紹介した各島の詳しい内容は、ほぼ全て平安座島出身の運転手の方から道中でお聞きした話です。
最近はレンタカーで来島する観光客がほとんどらしいのですが、バスでなければこういった地元の事情はなかなか知ることはできません。
海中道路の旅はぜひバスで。
JAおきなわ与那城支店前12:00−【うるま市500円】→12:55伊計共同売店前
2013年12月の情報
晩秋の西の離島
11月の旅は日本の広さを感じられます。今回は日本で最も西の地域で活躍するバスです。
国内最西端の与那国島で活躍するバス会社はその名もずばり「最西端観光」、空港の近くに社屋があります。
島には、祖納(そない)、久部良(くぶら)、比川(ひがわ)の3つの集落があり、一部の便はこれらを環状に結びますが、
多くの便は役場のある祖納と港のある最西端の集落の久部良を往復しています。久部良から祖納まで乗ってみる
ことにしました。
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日本で最も西にある久部良のバス乗り場に着くと、突然の雨で散策を中止していた同宿のドイツの方がいました。これからバスに乗ると
言うと、同行したいとのこと。せっかくの機会なので一緒に日本最西端のバスの魅力を味わってもらいましょう。
運賃はいくらかと聞かれ、この島のバスは無料だと答えると、うれしそうに驚いていました。実は以前運行していたヨナグニ交通が
いい加減な運行により行政処分を受け撤退、その後は町が最西端観光に委託し無料で運行しているのです。
やってきたのはマイクロバス、一般の車と区別がつきませんが側面に与那国町と書いてありました。
ここ久部良で折り返します。乗客は2人のみで他になし。南の島はいわゆる「島時間」で有名ですが、このバスはほぼ定刻に
運行されています。あいにくの雨で車窓からは海もあまり見えず、少しがっかりしていたのですが、同乗の外国の方はかなり興奮している
様子。原因は沿道の植生。確かに良くみるとどれも見慣れない植物ばかり、動く植物園のようです。パイナップルのようなアダンの実、
中央に密集した赤いソテツの実・・・。話によるとこの方は、中米で手広く農園を経営している方だということがわかりました。
空港を過ぎるとまもなく祖納の集落に到着、わずか15分のバス旅でした。どこでも自由に乗り降りできるそうですが、
途中の乗降客はなし。地元の人に聞くと、ほとんど利用したことがないそうです。もったいない・・・
この島のバスには他にも特徴があります。
バス停がとても大きく見やすいのです。しかも沖永良部島などと同じように時刻表は手書きで温かみがあります。
時刻表の大きさはおそらく日本一ではないでしょうか。
よく晴れた翌朝、もう一度久部良バス停をたずねてみると、
バス停の向こうには日本最西端の西岬灯台が青空に映えていました。
条件が良いとこの岬から約100km離れた台湾がみえるそうです。
晩秋のこの日の最高気温は27度。日本一西を走るバスは冬を知りません。
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久部良15:30−【最西端交通 無料】→15:45祖納
2013年11月の情報
晩秋の東の大地
11月の旅は日本の広さを感じられます。今回は日本で最も東の地域で活躍するバスです。まず乗車したのは根室本線厚床駅から広い
根釧台地をぬって中標津へ向かう根室交通の長距離路線。この路線には空港連絡便と一般の路線バスの
2種類があり、市街地では経路が少しだけ異なります。乗車した空港連絡バスはリクライニングシートで実に快適。
ガラガラのバスなので久しぶりに最前部の席に陣取り景色を堪能、直線の道がそのまま地平線へと続いています。パイロット国道と
呼ばれる国道243号線の沿道には人家がほとんど見当たりませんので、当然途中の乗降もありません。原野の中の風蓮橋を渡ると
別海町に入ります。やがて左折すると奥行バス停、以前は駅逓もあった要所ですが往時の面影は全くありません。
厚床から25km、あっという間に別海のバスターミナルに到着しました。
牛しかいないとさえ思われた別海ですが、中心部もバスターミナル内も思ったより活気があります。
酪農で大儲けしたという話し好きのおじさんが昔の豊かな別海の様子を語ってくれましたが、節々に開拓のつらさも垣間見えました。
再びバスに乗り中標津に向かいます。中春別、協和といった小さな集落以外は何もない牧草地帯を走りぬけ、30分で中標津に到着。
かつての鉄道の乗り継ぎ駅が今は中標津町交通センターと名前を変え、広大なバスターミナルになっています。
釧路に向かうバスを待つ人々が長い列を作っていました。一方これから向かう標津方面へは、国道でほぼ直線で結ぶ釧路羅臼線
(茶志骨経由)と旧国鉄標津線沿いに走る標津標茶線(川北経由)の2経路があり、今回は川北経由の小さなバスに乗り込みます。
席が少ないためか、意外にも乗客が多く感じられます。
紅葉に彩られた中標津市街を抜けると、主要道を外れ寂しい道を進みます。これはかつての標津線の廃止駅である上武佐、川北を
経由するためで、当時の鉄道とほぼ同じ車窓を楽しめます。これまでの平原の風景とは異なり、知床の山々も見えてきました。
しかしここは日本最東端の地、晩秋の午後3時はまもなく夕暮れ。(根室の11月中旬の日没は午後3時台です。)
標津の名所であるサーモンパークの塔を横目に見ると、まもなく終点標津営業所に到着しました。
鮭で有名な標津町ですが最近は不漁とのこと、まったく活気がありません。すっかり冷え込んだ11月の標津の町ですが、古めかしい
バス待合室の中はとても暖かく、帰りの切符をお願いするとスタンプと手書きで作ってくれます。
待合客に紹介してもらった近くの食堂で名物のいくら丼を急いで食べました。
冷たい風に吹かれながら夕暮れの港に出ると北には残り日に輝く知床の山々、そしてかもめ飛ぶ海の向こうには、国後の山々が
手に取るように見えました。道東はまもなく厳しい冬を迎えます。
厚床駅11:09−【根室交通670円】→11:40別海12:55−【根室交通670円】→13:24中標津14:19−【阿寒バス590円】→14:58標津
2011年11月の情報
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