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 一枚の地図から
地図を見て 思いをめぐらす 旅に出る
地図は小説より奇なり…

そんな地図の名場面を連載します。
(2008.8.24)
【1】陸と海

この「連載小説」の序章に登場させたこの地図、よくご存知の本州と九州を隔てる 関門海峡です。感受性の豊かなあなたは、この名場面を見てきっとゾクゾクときたことでしょう。 海峡の地図には、地図の基本である陸と海のせめぎ合いからくる迫力を感じます。 この関門海峡、最も狭い場所で600mです。このわずかな隙間が、本州と九州という大きな島を分断しているのです。

現在でこそ、地下には国道、歩道、鉄道、海上には高速道路が完成し、自由に頻繁に往来できるこの海峡ですが、 その自由な往来の歴史は浅く、1942年に山陽本線の海底トンネルが出来る前は、交通手段は渡し舟のみでした。 ここは潮の流れが大変速く、わずか600mにもかかわらず、人が泳いで渡った記録は数例しかありません。
調べてみると、本州、九州、四国が完全に海面上昇によって分離されたのは約6000年前と比較的最近のことらしいのです。 本州と九州がちょうど分断される時期に生きていた人々は、どのような景色を眺めていたのでしょう。
船が利用できた人間はともかく、動物にとっては永遠の別れ。その後、九州に取り残された熊は繁栄できず、 ごく最近になって絶滅したと言われています。地図からはこういった裏に隠れるさまざまな場面を感じることができるのです。

(地図1:本州と九州を隔てる関門海峡)

この海峡では地形ゆえに、さまざまな歴史的事件がありました。 1185年の壇ノ浦の戦い、平家滅亡の場面もここで繰り広げられました。源平の各船団は海峡という地形ゆえにここで衝突したのでしょう。 そして想像を超える激しい海流の状況ゆえに、安徳天皇らは「海の下にも都はございます」といって入水する気持ちに 駆られたのかもしれません。
前にも書いたように、この海峡の下を徒歩でも自転車でも渡ることができますし、両岸には海峡の景観を楽しめるように 公園が整備されています。この海の流れの早さは想像以上です。ぜひ実際にこの場面を体験してください。
(2008.8.25)
長崎県のハウステンボスや早岐駅前に、海が川のようになっている場所があります。「早岐瀬戸(はいきせと)」です。まずは下の地図をご覧下さい。

(拡大)

(地図2:大村湾と外海と結ぶ早岐瀬戸)

早岐瀬戸の延長は10km近くもありますが、川幅(瀬戸幅?)は最大でも200m程度で、地図上でも見た目も海というよりは川です。最も狭いところは幅 約10m、早岐駅近くでは急流になっていて、カヌーを楽しむ姿が見られることも。
この瀬戸によって針尾島は九州から分離され島になっています。短期的には江戸時代の干拓によって海峡の幅が狭くした経緯もあるようですが、 元々はこの島、九州と一体だったように思われます。現在の瀬戸の入口と出口の標高の低かった場所が、海面の上昇でつながってしまったように 見えます。昨日の関門海峡の成立の途中段階と同じなのではないでしょうか。 そう考えれば、この場面は川が海に変わる瞬間なのでないのでしょうか。(実際の瀬戸の成立状況は詳しくありません)
実際にこの場所に行って写真を撮ったので、以下に掲載します。

(早岐駅近く観潮橋の早岐瀬戸)
<クリックで拡大>

さて、狭い海峡といえば、小豆島の土渕(どふち)海峡、土庄町役場近くの一番狭いところは10mにも満たず、世界一狭い海峡としてギネスブックにも 登録されているとか。今は役場のある側に分離された土地は前島という名前になっています。 現在は流れも遅く、小さな川のような海峡です。しかしそのうち海面上昇によって完全に分離されてしまうのでしょう。
小さな海峡や瀬戸はそんな歴史の流れを感じさせてくれる地理的名場面なのです。

(地図3:小豆島の土渕海峡)


(2008.8.26)
▽川の流れのように♪
日本海に浮かぶ隠岐の島。島前の3つの有人島で最も大きい西ノ島。この島を中心で2つに分ける水路があります。
船引運河」です。下の地図をご覧下さい。

(拡大)

(地図4:西ノ島を2つに分けた船引運河)

この運河、1915年に完成した比較的新しいものです。島南側の船が島の北部の漁場に出るために、どうしても欲しかった水路だそうで、 毎日人力で島中央部の低い部分を掘り進めたそうです。約300mの運河は1年ほどで完成したそうです。(逆に陸路が不便になったような 気もしますが、現在は小さな橋でこの運河を横断します。)
運河完成前は、この地域を文字通り陸上を船を引いて移動させたことに由来するそうです。

世界の代表的な運河といえば、スエズ運河とパナマ運河です。これにより船の走行は驚くほど楽になりました。日本にはこれほど 大規模なものはありませんが、人工的な水路だとあまり知られていない川は地図上に数多くあります。
まず、東北最大の河川である北上川。この川の河口付近はたびたび洪水で悩まされていました。そこで20世紀前半、石巻市の仙台湾に 流れていた北上川を、現在のように本流が太平洋に流れるように変更する大工事が実施されました。また、それ以前には水運を考慮して 北上川と阿武隈川を海岸沿いに結ぶ全長60kmの大運河が作られたのです。ここまでの大規模な運河は国内では珍しいと思われます。
同様の例が利根川です。江戸時代までは現在の江戸川を経由して東京湾へと流れる川でしたが、治水などの理由で、元々銚子で太平洋に 注いでいた小貝川に合流させたのです。現在銚子付近の利根川河口は幅も大変広い立派なものですが、昔はもう少し狭かったのでは ないでしょうか。また人工水路に沿って千葉と茨城の県境が定められたこと、千葉県が陸の孤島状態になってしまったことも興味深い結果です。

なお、こちらは人工的ではありませんが、北海道の大河である石狩川はわずか3万年前までは太平洋に流れていましたが、これが支笏付近の火山 活動の堆積物でせき止められ、現在のように日本海に注ぐことになったそうです。「川の流れのように」という曲がありましたが、 歌の主題に反して想像以上に川の流れは変わりやすいものなのです。

(2008.8.27)
▽天下分け目の分水嶺
下の地図は福井県敦賀市付近の県境です。標題を見てピンときた方は素晴らしい。「分水嶺(ぶんすいれい)」とは、異なる水系の境界ですから、 多くは山の尾根や峠などにあたりますが、ここはある日本一の特徴をもつ分水嶺なのです。

(地図5:福井・滋賀県境の分水嶺)

その答えは、この地図の右側の中河内付近の分水嶺が、太平洋−日本海の分水嶺(いわゆる「中央分水嶺」)のうちで最も日本海に近い場所に あたるということです。 具体的には敦賀市の赤崎海岸の日本海まで直線距離は5kmにも満たないのに、高時川、姉川で琵琶湖に注ぎ、その後瀬田川、宇治川、淀川と 100kmをはるかに上回る水路を流れ、太平洋側の大阪湾に注ぐのです。なんと遠回りの人生?なのでしょう。
そんな中央分水嶺の全コースをはじめて詳細に調査した日本山岳会によるサイトがありますので、以下にご紹介します。
中央分水嶺調査(日本山岳会)

この調査の結果を見ると、いくつか以下のような意外な点に気づきます。
(1)平野にある分水嶺がある
分水嶺と聞くと、険しい山の尾根を想像しますが、以下のように平野にある分水嶺も多くあるようです、ぜひ訪問してみましょう。 まず広島県安芸高田市八千代町上根、広島に近い場所ですが、日本海側の江の川に流れます。国道沿いに小さな標識があるそうです。
次に、岐阜県郡上市高鷲町ひるがの、ここには立派な分水嶺公園があり、次に挙げる石生と同じく両方面への川が公園内でつながっています。 周囲一帯は湿原で素晴らしいところでした。
(2)海水面100m上昇で本州は分離する
兵庫県丹波市内の福知山線に石生という駅があります。この駅の東側に水分かれというバス停や交差点があります。 その少し東側に水分かれ公園があり、この公園内で水は太平洋側と日本海側に別れて流れています。つまり太平洋と日本海は この公園を中心として一本の水路でつながっているとも言えます。標高は約100mで、内陸の分水嶺で一番低い地点です。つまり、海水面が100m上昇すると、 本州は東西に2つに別れてしまうということです。
(3)北海道には究極の偏向分水嶺がある
北海道南部の長万部付近に礼文華峠という峠があります。室蘭本線の新辺加牛トンネル付近の分水嶺はなんと太平洋側の噴火湾までわずか250m! それでも水は来馬川、朱太川を経由し、はるばる遠回りをして寿都で日本海に出ます。これも昨日の石狩川と同様、噴火活動と関係があるようですね。

全国のバス停名には「水境」「水分かれ」などの分水嶺にちなんだものが多くあります。ぜひ見過ごしがちな分水嶺に出かけてみてはいかがでしょうか。

(福島交通水境バス停:福島県川俣町・飯館村の境界)


(2008.8.28)
▽あなたの近所の水源
さて、分水嶺について触れました。それらは、どの地点をとっても水源となりうる場所ということになります。しかし、水源は必ずしもこういった 場所だけとは限りません。以下の東京都内の地図をご覧下さい。

(地図6:東京の湧水群)

1.富士見池→石神井(しゃくじい)川
2.三宝寺池→石神井池
3.石神井池→石神井川
4.善福寺池→善福寺川
5.妙正寺池→妙正寺川
6.井の頭池→神田川
東京の方々にはご近所の地図ですね。富士山の火山灰などの厚い堆積層(関東ローム層)で地下に埋もれた水が、 この地域で一斉に地表に湧き出すのです。その場所では小さな湧水池を形成し、そこを水源として川を作ります。 同じ大都市でも大阪や名古屋ではこういう現象は見られません。
このような現象は大きな火山の周辺でよく見られます。例えば九州の阿蘇山は規模が大きく、堆積層は豊富な地下水を 育んでいるため、熊本市の水源は全て地下水でまかなわれています。阿蘇の山頂付近には地図上ではほとんど川などの水脈は 見当たりませんが、麓で湧水となって白川の水源となっています。かつて日本一長い駅名だった「南阿蘇水の生まれる里 白水高原」駅、いかにも水源地らしい名称です。
霧島連峰の麓には、平成の大合併でその名も「湧水町」が誕生しました。竹中池や丸池といった豊かな水源があることに ちなんだものだそうです。

私のお気に入りは、羊蹄山の麓にある北海道京極町の「ふきだし公園」、その豊富な水量だけでなく、羊蹄山を背景にした 周囲の景観も見事です。水を汲む樋なども整備されています。機会があればぜひご訪問を。
(8月29日はお休みします)
(2008.8.30)
▽海から出たり、沈んだり

(地図7:熱海市の海岸線)

陸と海について触れてきましたが、現在地図で見ている海岸線も、短い歴史の間で大きくその形を変えています。 ことに人工的に埋め立てが行われている近現代では顕著な現象でしょう。
今日は、最近に自然の力によって大きく変化した海岸線をいくつか見てみましょう。

左は静岡県の熱海の地図、この海岸の底に多くの遺跡が発見され、ダイバーに注目されています。 どうも昔の集落が丸ごと海に沈降した形になっているようです。水深30mを超える場所にも当時の石畳などが 確認されています。
このような海底遺跡、地震の多い地域ではきっと他にも多く存在するのでしょう。
国内で有名な海底遺跡といえば、与那国島があります。また、湖底遺跡としては琵琶湖が有名です。しかし、 かつて人が住んでいたと完全に証明するのは、いずれも難しいことのようです。

ところで、ダム建設では集落はそのまま水に沈められてしまいます。将来の人が、これら湖底の集落跡を発見したときに どう受け止めるか興味があります。
さて、大分県の別府湾には島が海に沈んだという話が伝わっています。1596年の地震で瓜生島と呼ばれる島が一瞬にして 海に沈んだというのです。この話は証明されていませんが、実際に大きな被害が出ているようですから、信憑性は 高いといえるでしょう。
一方で、地震によって新たに陸地が現れた場所もあります。その代表が秋田県南部の象潟。元々は遠浅の海と風光明媚な島々で 松島と並ぶ観光地だったようで、その様子は松尾芭蕉の俳句にも歌われています。それが1804年の地震で隆起し、 現在では水田の中に小島が浮かぶような景色に変わり、以前の面影はなくなってしまいました。沈降では大きく財産が 損なわれますが、得したように思える隆起でも価値が損なわれる場合もあるのですね。


(都合により、今後更新を不定期にします)
(2008.9.4)
▽浮いて沈んだアメリカとの国境問題

(地図8:根室沖の島々)

領土問題が各国の摩擦を生じる場面に遭遇します。そのため地図の魅力を語る「一枚の地図から」では具体的領有関係には触れませんのでご了承を。
さて、左はおなじみ、根室沖に浮かぶ島々です。納沙布岬には2回行ったことがありますが、いずれの時も貝殻島が肉眼ではっきり見えました。 これほど生活圏の近くに国境問題の緊張を感じる場所はここだけですね。
以前は現在ほど話題になっていなかった竹島や尖閣諸島が、最近注目を集めていて、とかく日本の北側の国境ばかり考えてしまいがちです。 ところが日本の管理水域が海上で接している国は南方にも存在します。それはアメリカです。今日は先日触れた 「海から出たり、沈んだり」が引き起こした、アメリカとの国境問題について簡単にご紹介します。
まず、これについて詳しく説明している貴重なサイトがあるのでご紹介します。
「望夢楼」というサイトの中の「日吉沖ノ場(南日吉海山)」です。
(このサイト以外、この重要な問題が検索されないのは不思議なことですが…)

このサイトによれば、話は1977年1月9日に始まります。
日本航空の飛行機が、日本南方で海底火山活動による海の変色を発見。新島が誕生した可能性を示唆したのです。関係者は騒然となりました。 この海域の南方に当たる北マリアナ諸島は、現在アメリカの自治領となっています。双方の領海ではなく公海にあたるこの海域が日本領にできれば、 現在よりも日本の領海が増えることになります。先に島を確認した国がその領有を主張できるという国際的な常識があるため、日米がこの島に 注目して表面に出ない領土問題が繰り広げられていたそうです。
詳しい内容はぜひ上で紹介したサイトをご覧下さい。


結果的にこの新島が正確に海上に確認されることはありませんでしたが、今後も同様の火山活動があれば、再びアメリカとの国境問題に発展する 可能性もあります。長い目で見れば陸と海の形や位置が変わるのは自然なこと。島の有無のために紛争が起こることは悲しく愚かなことです。 こういった類の話はどの国とも平穏に解決してほしいものです。
(2008.9.10)
【2】市町村と境界線

▽市だけを通って本州を縦断

(地図9:萩市のくびれ)

本日から少し話題を変えて、市町村やその境界線について触れましょう。
さて、左の地図で丸で囲んだのは山口県の萩市の一部。一般の人は何も興味を示さない部分ですが、 実はある目標の障害となっている日本唯一の場所なのです。それは今日の標題の通り、 市だけを通って本州を縦断したい人にとって、唯一の障害になる部分だったのです。

具体的には以下のとおりです。
全国では市町村合併が進み、本州の大部分が市となりました。このため本州では、青森市から下関市まで、地図上においては、 ついに市だけを通って縦断することができるようになりました。ここで注意すべきは「地図上においては」という点です。 地図の萩市のくびれ部分、人が満足に通れる道がみつかりません。つまり、萩市は地図上では一体でも、実際は2つに分断 されているのです。「本州の市だけの縦断」にあたってはこの部分の通過が必須なのです。
なお、もう一つコース上に、静岡・長野県境の南アルプス登山という難所がありますが、こちらは徒歩可能なのでお許しを。
(この市だけを通って本州縦断するコースは面白いクイズだと思うので、どうぞ地図とにらめっこして見つけてください。)

平成の市町村合併に文句を言うわけではありませんが、地理的条件以上に、経済的条件を優先した合併が多かったため、 住民の利便性を考えない奇妙な形の自治体が増えました。 また青森県の五所川原市と中泊町など、両者が互いに飛び地となってしまった地方も存在します。 今後数回に渡って、こういった話を進めたいと思います。
本日は簡単ですがこれにて。

(2008.9.11)
▽山頂の境界線

(地図10:羊蹄山頂)

市町村の境界線において、左の地図の羊蹄山はある日本一の場所です。 それは5つの市町村が一点で接する場所ということです。 その程度なら国内に他にもありそうですが、私の調べた限りはありません。
羊蹄山は代表的な成層火山で山頂近くには水脈がありません。またこの周辺は最近になって人が多く住むようになった場所です。 こういった理由から境界線を山頂で交わらせることに異議はなかったのでしょう。
なお周辺はヒグマでさえも生息しない地域として有名でしたが、2003年6月18日、1頭の勇敢な(?)ヒグマが山頂で発見されました。 水も食料もない場所なので、その後の目撃例はほとんどないようです。登山をしたかったのか、あるいはこの日本一の点に興味を持ったのか…
ところで、他の同じような地形でなぜ山頂で境界線が交わる自然な姿が見られないのでしょうか。次に挙げる富士山の例を 見てみましょう。
すると、富士山の山頂目指して6つの市町村が名乗りを挙げている様子がわかります。しかし肝心の山頂付近では 境界線が不明確になっています。実は富士山頂は、所属する県すら定まっていないのです。
このように歴史が深く生活に密着した山々は、山頂付近で境界が未画定で ある場合が多いようです。他に八ヶ岳の赤岳山頂も多くの市町村が関与しているのですが、境界線未画定のため候補にもなりません。

いくつかの山頂の地図には人間のいやらしさ?が見えるものがありますので、ぜひ一度ご覧ください。
飯豊山・・・福島県が飯豊山頂への登山道を占領
霧島山高千穂峰・・・火口は霧島市が独占

(地図11:富士山頂)


(2008.9.13)
▽いやらしい境界線〜飛び地

(地図12:京都府笠置町の飛び地)

市町村の境界線で、健全な青少年に見せたくないものがあります。それは飛び地です。 他の自治体を通らないと、その自治体の中心部に行けない場所のことです。 人間の欲や主張が優先され、妥協できなかった産物が地図に表れたものが多いようです。

左の地図は京都府笠置町の奈良県境界に近い部分。いやらしいほどに入り組んだ境界線。 原因を知りたいのですが、よくわかりません。ここは飛び地の原因によくありがちな道路とは関係ないようです。一部は等高線に 沿っていることを考慮すると、水利権が大きく関わっていそうな気がします。きっと境界線の内部に小さな川が流れているのでしょう。

このような飛び地は全国に多く見られます。住民の利便性を考えれば、その周囲の自治体に吸収合併されてしまえば良いと考えますが、 現在ではその飛び地となった原因すら分からないものも存在するようです。
右の地図は運悪く異なる都道府県で飛び地になっている例です。大阪空港駅の北西に、 三角の点線で囲まれた本当に小さな土地があります。兵庫県伊丹市の飛び地です。 大阪空港自体が大阪府と兵庫県の府県境にあるのですが、 利便性を考えれば、この地域、どちらか一方に編入してしまった方がよいと考えます。 空港ターミナル内の事件はもちろん、周辺で航空機事故があったら、迅速に対応できるのでしょうか。

飛び地はアゼルバイジャンなど国単位でも散見され、政情の不安定な地域では、様々な弊害を生じかねません。 これら飛び地がほとんど解消されないのは、人間の悲しい性なのでしょう。

(地図13:兵庫県伊丹市の飛び地)


(2008.9.14)
▽県境で事件は起きる

(地図14:三重・奈良県境の葛尾地区)

左の地図の「名張市葛尾(くずお)」という地名を見てピンときた方は、関心のある方か、年配の方ですね。 当時日本を震撼させた名張ぶどう酒事件の舞台なのです。 以前別のコーナーで触れましたが、この地理的背景と事件の内容を以下に紹介します。

まず地理的には・・・
地図で分かるように、三重県名張市の葛尾地区は葛尾バス停付近を付け根にしてかろうじて三重県本体とつながっています。 地図上飛地ではないのですが、奈良県を通らないとこの地域には行けないので、実質飛び地と言えます。一方、奈良県山添村にも 葛尾の地名が見つかります。 現在は三重と奈良に分断された葛尾地区ですが、昔は一つの村だったとのことです。 結果、日本でもまれにみる不思議な境界線が誕生しました。
【名張毒ぶどう酒事件】
 三重県の山間部を名張川がのどかに流れている。その上流には奈良県との県境にある平和な村落、名張市葛尾(くずお)がある。そこでは、谷間の一本道に沿うように、25戸の農家が点在し、ほぼその中心の小高い丘にポツンと建ち、村人たちが公民館として使う無住の寺がある。そこで、村の生活改善クラブ「三奈の会」が開かれ、その総会が終われば懇親会が開かれる。 時は、1962(昭和36)年3月28日、いつものように「三奈の会」が開かれ、夜8時ころ懇親会に移った。 男たちには清酒が、女達にはぶどう酒がふるまわれ、32人の参加者たちは和やかに祝杯を挙げた。その時事件は起きた。突然女たちがもがき苦しみ、あちこちで女性が嘔吐し、腹痛を訴えるなど会場は騒然とした状況になった。驚いた男たちは遠方から医師を呼んだが、その甲斐もなく5人が死亡、12人が中毒症状を起こしていた。 飲み残しのぶどう酒や犠牲者の嘔吐物を鑑定した結果、その中に有機燐剤であるテップが含まれていることが判明し、また死体解剖の結果、死因はテップ中毒であることが判明した。
(「人権派弁護士集団」ホームページより引用させていただきました。)

以上からわかるように、三重と奈良に分かれてしまった葛尾地区の懇親会で起こった事件なのです。県境が原因とは言えませんが、 一つのきっかけであったことは事実でしょう。この事件、いまだに容疑者として逮捕された人は無罪を訴えていて、解決されていません。 県境にまたがる事件が捜査の妨げになっていないことを祈ります。

他に、栃木県足利市付近で起きている幼女連続殺人事件は、犯人が県境をまたいで捜査を混乱させていると指摘されています。 群馬、栃木両県警はそれぞれの縄張りから積極的に情報を交換することをしないとのことです。
また、500人以上もの死者を出した日航機墜落事故は、県境であったために墜落場所の発見が遅れたという話もあります。

(地図15:宮城・山形県境の蔵王リフト)

今日最後にご紹介する左の地図は宮城・山形県境の蔵王。 蔵王県境裁判の舞台です。 問題は地図中のリフト、途中で「ここから山形県」の珍しい 看板も見かけますが、その建設にはどろどろした背景が。くわしくは蔵王県境裁判(Wikipedia)をどうぞ。


都道府県境はあくまでも人間が便宜的に定めたもの、それが人を不幸にしては実につまらないことです。
(2008.9.18)
▽県境変更

(地図16:中山道の馬籠峠)

左の地図は中山道の馬籠(まごめ)峠。岐阜と長野の県境になっています。
しかし、ここが県境になったのはごく最近の2005年、長野県山口村が岐阜県中津川市に越県合併したことで新たに引かれた 境界線です。最近では県境変更は大変珍しいことで、実に46年ぶりの珍事でした。

さて、生活が複雑になった現代において県境の変更は大変な影響を与えますが、過去においてはしばしば行われていたようです。 そもそも廃藩置県が実施されたのが1871年ですから、その当時は所属する県の変更はもちろん、県の分割などもあったようです。 そのような県境変更の歴史を少しひもといてみましょう。
今回の46年前の1959年の県境変更は栃木県菱村が群馬県桐生市に合併したことによるものです。その少し前の1958年には福井県にあった石徹白村 が岐阜県に編入、1957年には千葉県の十余島地区が茨城県に編入されるなど、多くの変更が実施された時期がありました。

さらにさかのぼると、今の認識では予想できないような所属も多かったようです。
日本海に浮かぶ隠岐諸島は廃藩置県後はしばらく鳥取県でした。5年後に鳥取県自体が島根県に編入されます。さらに5年後の 1881年に現在の鳥取県が分立します。この時に隠岐は島根県にとどまって現在に至ります。
同じように香川県は愛媛県に編入されたり分立したりして、1888年にようやく現在の形になった最も新しい県なのです。

次に今後を考えると、以下のように県境変更を考えている自治体は意外に多いようです。群馬県太田市の飛び地解消など、不便を解消する ための場合もあるようですが、いくつかは経済的な事情あるいは打算もあるようです。
○埼玉県幸手市と茨城県五霞町の合併
○静岡県熱海市と神奈川県湯河原町の合併
○広島県大竹市と山口県岩国市などの合併
など・・・

いずれにせよ、度重なる都道府県、市町村変更は、その効果以上に余分な労力や経費を必要とすることがあります。 (私もこのようなサイトを開設している都合で、個人的に非常に迷惑しています。) 現状を安易に変更することなく、慎重に検討してほしいものです。
(2008.9.25)
▽湖沼の境界線

(地図17:境界線がなかった十和田湖)

左の地図は十和田湖。青森と秋田の県境域ですが、実は今日現在、湖沼上の県境が決まっていません。 廃藩置県以降137年もの間、県境がなくても問題なかったのですが、最近ではやはり漁業権などのからみがあったようで、 ついに先月、両県の間で県境画定に向けた合意が得られ、昨日から現地で具体的な測量が開始されています。 測量はGPSによって行われ、青森6:秋田4の割合で線引きをするそうです。この割合を決定するのに、長年にわたる関係者の綱引きが あったようですから、これが国境となればその難易度ははるかに高くなることも理解できます。

このように都道府県の境界線上にあたる大きな自然の湖沼は意外に少ないようです。それは多くが境界線を分水嶺に設定しているのも 理由の一つでしょう。中規模なもので尾瀬沼(福島・群馬)がありますが、これぐらいだと境界線は特に問題なく決定するようです。 しかし、国内にもう一つだけ例外がありました。それが次に挙げる中海です。

中海は鳥取県と島根県の県境にありますが、海と接しているので、米子付近と境水道の境界さえ決定すれば特に 問題ないように思えます。しかし、鳥取県は米子空港などで中海側に大規模な埋め立てを繰り返してきました。 場所によっては島根県側の岸から1kmに満たない部分も。
これに待ったをかけたのがほとんど埋め立てをしていなかった島根県、県境を画定するように鳥取県に要求。 さすがに鳥取県も後ろめたかったのか、鳥取県側の海岸線ぎりぎりを県境とすることで合意したようです。 つまり地図中の米子市の水鳥公園、一歩海岸線に出ればそこは島根県ということになるようです。このようないやらしい 県境は全国でもここだけでしょう。
こうなると次なる興味は、島根県が県境ぎりぎりまで埋め立てて、将来鳥取県と陸上で接するのではないかということです。 元は同じ県だったのですから、仲良くしてほしいものです。

(地図18:いやらしい境界線が引かれた中海)


(2008.10.8)
※久々に更新しました。
▽境界線には何がある?

(地図19:大分・熊本両県にまたがる杖立温泉)

(一部他で取り扱っている内容と重複します)
左の地図は杖立温泉。大分と熊本の県境の地域にあります。林立する温泉宿のうち、 ただ1軒だけ、県境をまたいで建っているものがあります。地図最上部の「ひぜんや」です。増築によって大分県側に はみ出た経緯があるようです。建物を県境に建てることは、税金や登記の面で複雑なので、敬遠されがちですが、当ホテルでは、逆に 「全国で唯一県境に建つリゾートホテル」としてアピールしています。建物の中には県境のモニュメントがあります。
ところが宿泊施設では、県境に建つ施設が他にもあります。特に山小屋などは多くがその類であり、例えば四国カルストで 有名な天狗荘は、愛媛と高知の県境にあり、一部に境界線が引かれています。


(大分県側のひぜんや外観)

先日例に挙げた伊丹空港ターミナルのように、都市部では意外に多くの境界線上に建つ施設を見かけます。 特に東京都と神奈川県、東京都と埼玉県の密集地にはこのような例が多く、菓子で有名な湖池屋の本社は 2都県にまたがっていますが、本社は東京都として公表されています。いわゆる東京ブランドが欲しかったのでしょう。

地図で大々的に明示される境界線ですが、実際に地面に線で引かれている場所はまずありません。しかし、 それが自然に現れる場合があります。下の左の写真は国道139号線のちょうど東京・山梨都県境の地点。境界線は引かれていませんが 両都県で施工方法が違い、舗装なども互いに境界までしか行わないので、道や壁に自然に見えない境界線があらわれています。これは 市町村境も同様です。日本の縦割り行政が文字通り行政の境界線を引いているのです。

(東京・山梨の境)

(大阪府富田林市・千早赤坂村の境)
境界線って面白いものですね。
近所の行政境を訪れてみませんか。きっと面白い発見があるはずです。
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